ケンヤム

早春のケンヤムのレビュー・感想・評価

早春(1956年製作の映画)
4.8
坊やと三浦。
不在の存在を感じさせる。不在の存在=死なのだと思う。
小津映画は人の死を燃料に物語を動かしていく。
家出した奥さんを探す池部良の仕草は、不在の坊やを探す仕草だ。
三浦はセリフで殺される。
「三浦今朝死んだってさ」
ただセリフだけで死が語られる。そのことの残酷さ。ありありと不在の存在が感じられる。
彼らが視線を同一方向に向けるとき、彼らは彼岸を見つめているのだと思う。
この映画の最後、夫婦は汽車を並んで見遣るが、その視線は線路の先にある東京にかつてあった彼らの生活の面影を見ている。
坊やと共に過ごした日々、三浦が戻ることのできなかったサラリーマン生活。
その東京の面影が、煙モクモク煙突の行列に引き継がれたところでこの映画は終わる。
不在の存在。
それがないからこそ、そこにあるもの。
小津映画はそれを隠す身振りを隠さない。
過剰な不自然さによって、鑑賞者に観ることを強いるのだ。
ケンヤム

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