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セプテンバーのRのレビュー・感想・評価

セプテンバー(1987年製作の映画)
4.3
柔らかいジャジーなムードのなか、明るい陽光に包まれた田舎の一軒家に集う5人の人々。夏休みの団欒をピースフルに楽しんでるように見える彼らだが、少しずつ、みんな様々に問題を抱えているな、というのが分かってくる。だんだん、あ、これはコメディでない方のアレン映画だな、と分かってくる。主人公のレーンは、自殺未遂からの復活途上にいて、その一軒家で暮らしており、最近離婚を経験した作家志望の男ピーターを離れに住まわせて、仕事に関して励ましてあげたりしてるうちに、ひそかに彼を好きになってしまってる。そこに、昔セクシーアイドルだった母親ダイアンが、物理学者の彼氏ロイドと泊まりにやってくる。ダイアンは真っ直ぐ自分中心の人生を生きてて、あっけらかんとしてるが、老いることは地獄よ。自分を支えてきた力が1つずつ消えていく、と語る。一方、彼氏のロイドは、宇宙は気まぐれでできた仮初の世界で、善もなく、悪もなく、野蛮な世界だ、それを仕事で何度も確認させられる、と語る。あと、夏の間遊びに来てるレーンの親友ステファニーは子持ちの妻だが、夫とは関係がよろしくなく、もうひとり、近所のおじさんハワードは妻に先立たれて孤独な老後を暮らしている。この5人が奏でるおそろしくややこしい不協和音を、部屋から部屋へと移動しゆく彼らの心の移ろいのなかに描き出していく小さな小さなドラマ。その小ささの蓄積が、緊張感あふれる沸点へと到達するシーンは、胸が痛いわ気まずいわウザいわ、もー見てらんない。どんな感じかというと、まず、彼らが想いを寄せる対象がみんなそれぞれにすれ違う。ハワードはレーンに、レーンはピーターに、ピーターはステファニーに、といった具合に。で、好きな相手と二人きりになったときに、彼らの真意が垣間見え、感情のチグハグが浮き彫りになるのだが、それでも希望的幻想を捨てずにはいられない。ところが残酷な現実はたしかに存在し、やがれそれをバーンと突きつけられてしまう…という、なんとまぁ。で、極めつけは、慰めの言葉、何度か口に出されるdistraction(気を紛らせる)。一体彼女たちは何から目をそらして、気を紛らわせるのか。真理って何なのか。それはまさに物理学者ロイドの語る、仮初めの宇宙の真理を指しているように思えるのだ。ホントかわいそう。かわいそうといえば、レーンのいじめられっぷりはヒドイ。まさに被害者人生。被害者の人生とは、いつもいつも被害、被害、被害ばかり。宿命論に走りたくなるのもわかるわ、ってくらい。むごい。たまにいるよねーそういう人。てか、ウディアレン自身がそういう人なのかな? ユダヤ人という民族的運命を考えてもちょっと重なる部分ある。で、もうちょいマイルドな被害者兼加害者みたいな人たちもいて、完全なる加害者もいる。が、本作に出てくる人たちは、特に誰も明確な悪気があるわけではない。だからこその残酷さ。個人に対する個人の無関心。個人に対する宇宙の無関心。つらいだろうな、と思った。人間がお互いを愛し合う難しさ。この宇宙最大の問題が解決できればノーベル賞なんて余裕なのにね。不思議なことよ。
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