情景は美しく、橋でのエピソードも情緒的で印象的。
揺れる女心を体現したメリル・ストリープも切なく美しい。
…不倫でさえなければ。
実際の恋愛パートに没入して観ている間はその切なさに涙しちゃうんだけど、何ひとつ否のない家族にしてみたら、可哀想すぎてスッキリはしない。
本人たちには美しい想い出でも、亡くなってまだ喪失感が拭えないところに、「お母さんは本当は他の人が好きだったのよ」なんて言われても、あのお兄ちゃんのような反応が普通だと思う。
しかも心がふらついただけならともかく、実際関係を持ったわけで。
本人は告白してスッキリ、でも聞かされた方は多かれ少なかれ100パーセント傷つく。
あなたたちを傷つけないために私は諦めたの的自己犠牲と思っているだろうけど、ぶちまけた時点で結局巻き込んでるよね?
ある意味、全てが自己満足の世界だし、それをああなんて素晴らしいと称えるのは微妙…
ただ、背景の違いを考えるなら、アメリカの、特に女流作家の日常描写の多いコージーミステリだと、そういう「ロマンス作品」(ハーレクイン的な)にハマる女性や、その手の作家が超人気って描写はよく出てくる。
群像劇的ドラマでも、恋愛パートでは、メインキャストがほぼ全員と1度はくっついたり離れたりして関係持つ。
だから、アメリカだとそこまで嫌悪感や違和感なく、一大ジャンルとして受け入れられてるのかもしれない。
お国柄かしらね。
とりあえずこの作品に関しては、美しい風景とエピソードと主人公の心情に没頭して、ただの恋愛映画として割り切って観たら、情感溢れる素敵な映画、というところではないかと。