もの語りたがり屋

マディソン郡の橋のもの語りたがり屋のレビュー・感想・評価

マディソン郡の橋(1995年製作の映画)
3.6
マンジャーレ、カンターレ、アモーレ

「食べて、歌って、愛し合う」ただそれだけで幸せ。イタリアにそういう言葉がある。
地の果てでも、美味しい食事と素敵な音楽、そして愛する人がいれば人生は幸せなのだろう。

旦那との日常にマンネリ化していた主婦のもとに現れたリベラルな写真家の男。家族不在の4日間にいけないと分かりながらも、ジリジリと惹かれあうふたり。最近でいうと「昼顔」のような世界である。

「不倫は文化」だとトレンディー俳優が言ったが、いつの時代も人間の根っこの部分に蔓延る、誰かを愛し愛されたいという欲求。ないものねだりで新しいもの好きの性。昨今それへの非難が目に余るものがある不倫を、切なくも美しく描いている映画。

肯定も否定も価値観は人それぞれだが、倫理と人類愛の狭間で揺れる、不倫についてのひとつの最適解がこのなかにある気がする。現代ではヒッピーの延長上に、ポリアモリーの文化も拡がる。

そしてこの作品を観て、改めて映画は時代を刻み込むものだと感じた。歴史は感じても決して色あせない。その時代その時間に生きた人たちがいるから、いつ観ても生々しい。

恋する気持ちも一緒ではないだろうか。人はいくつになっても恋したい生きものだ。

それと、やっぱり手紙の文化はいいよね。いまやどこにいてもいつでも連絡が取り合えてしまう世界。どうやってもう一度あの人に会えるのだろうか、ズキズキしながら繋がりをたぐり寄せ、その瞬間を待ちわびる感情に萌えた。