コミヤ

桐島、部活やめるってよのコミヤのレビュー・感想・評価

桐島、部活やめるってよ(2012年製作の映画)
4.5
「戦おう、俺たちはこの世界で生きていかなければならないのだから」

そのために必要なのは「何か夢中になれるものを持っていること」
この作品の世界ではそれを持っているものが「強者」に、逆にそれがなく桐島という絶対的中心の欠落に振り回され続けるものたちが「弱者」に映る。(強者、弱者って括りたくないけど)

この意味で本作において「強者」として映るのは、全くイケてない笑い者だけど映画が心から好きな映画部前田、好きな男子に思いを伝えることは叶わなかったものの気持ちを整理し部に戻った吹奏楽部部長、そしてドラフトが終わるまで部活を続ける野球部先輩(圧倒的強者)。

クライマックスの屋上での大団円は本作の主人公といっても過言ではない超絶イケメン高身長の広樹が大きな気づきを得て歩き出すまでをこの三者が演出する。

吹奏楽部が演奏するローエングリンの曲をバックに映画部前田が撮る空想のゾンビ映画。その後に交わされる前田との会話が野球部の先輩との数分前の会話も相まって広樹にある気づきをもたらす。

「意味なんてないし将来どうとか関係ないけど、好きだからやってるんだよ」という両者に対して「かっこいい」という表面だけ飾った空っぽな自分自身に対する虚無感。

ついに感情を剥き出しにする東出昌大の演技力もあって、このシーンには前田の完全勝利!ざまあ!というカタルシスなんて殆どなく、寧ろ広樹側に感情移入させられる。彼はこのままどこに向かうのか?その空白を埋めるのは観客次第であり、このような能動的な作業を誘発させる作品からは豊かな映画体験を得られる。

感情移入の対象が全キャラクターにまで及んでいるのもとんでもないことだと思う。

大学生になってから自分は本当に好きなことに対して一生懸命になったなんて自信もって言えないし、本当にやりたいことが何なのか分からずにいる現状は正直しんどすぎる。広樹のように意味を求めてしまっていることもあって映画も部活もどちらも中途半端になってしまっている。
モラトリアムを延長したい。

東出昌大、松岡茉優などの逸材をを見出しただけでも価値のある作品。松岡茉優が全く可愛く見えないのが逆に凄い。
コミヤ

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