狭須があこ

少年は残酷な弓を射るの狭須があこのレビュー・感想・評価

少年は残酷な弓を射る(2011年製作の映画)
4.2
イヤもうこれは戦争ですわ。
この映画を見て、少しでも母親を責めようとする人とは、とりあえず外に出て殴り合います。

私はね、完全に少年が元々キチガイ派です
だってさぁ、赤子の段階でおかしかったじゃん!!こんな赤子が生まれてくることあります!?

「望まぬ妊娠だったから」
「あまり愛を注がれなかったから」
そんな子はな、この世界にはごまんとおるんだわい!!!
そして完全無欠な親に育てられなくても、まともに育った子供もごまんとおるんじゃい!!
望まぬ妊娠だった上にこんな子供が生まれてきたのに、赤子からエズラミラーになるまで「母親」を続けた彼女が責められるならば、おれは全力で暴れます。彼女のために

「母親」ならば、こんな子でも育てられて当然だと思います?
事実として、実子に対するネグレクトや虐待が、ごまんと蔓延るこの世界で?

ついでに「エスター」って映画見てきて欲しいところですね。
私はケヴィンという少年が何を考えているのかさっぱりわからなかったですが、彼の気持ちを「理解できる」と思ってしまった人は、父親の方のルートに入ってしまっていると思います。
世の中には本当に理解「できてはいけない」特性を持つ人間が居ます。
くれぐれもお気をつけて。

ダウン症とか、天才児とか、親からもらう要素以外のものを持って生まれる子供って、一定の確率で居るじゃないですか。
彼らは誰の子供としても唐突に生まれる可能性はあって、それが「ちょっと変わった子供」として処理され、隠れていることもあると思うんですよね。

最後のシーンを見ながら、こんな「残酷な弓を射る系」男子にとっても、「この人の腹から生まれた」というのは意味を持つんだなと、とても感慨深かった。
彼の残酷さは両親のどちらの素養でもなくて、彼が自分に全く似ていないことに気づいていながら「我が子」とし続けた唯一の存在を、彼は唯一「母親」として認めたのだと思います。

この事態を防げたか?というと、彼の賢さから見ておそらく誰にも防げなかったと思うし、これを防いでも防がなくても、彼は幸せにはなれない人間だと思うんですよ。
ただ、「残酷な弓を射る」ことを宿命として生まれた者にとっては、彼女の存在があることで、最も幸せに近い状態で居ることができたんじゃないだろうか?

なんかもう、母親ってスゴイですね
もし将来子供ができて、もしその子供がケヴィンだったら、私は彼女と同じようにケヴィンを愛して、育てられるだろうか。
そして育てたものが将来どういう末路を辿っても、それを受け入れられるだろうか。

少年に振り回される母親の図が延々と続くのに、終わってみると、圧倒されたのは母親のほうだった。
母親ってスゴイ。スゴすぎる
狭須があこ

狭須があこ