なぜ? 一体なぜ? 残酷な弓はなぜ?...
後半若干ネタバレあり
ぬぅぅ〜っ... とんでもなくショッキングゥゥ〜っ!!
実は期待してた通りだったのだけれど。ね。
こういう、静かな作風好きなのよぉぉ〜。静かに、派手な演出が無く、淡々と ずっしりと重たい ショックを味あわせてくれる作品がねぇ。
ティルダ・スウィントンさん演じる母親に、私は同情してしまいますわ。
私は男だけれども、もし。もし、同じ立場だったら申し訳ないけれども、耐えられないだろうに。
全母親に感謝!!! 私自身の母親にももちろん!! 感謝!!!
全力で 遊びかけたり、世話したりするのに、まるで愛情のないような嫌がらせで “ボール”を返される。 そんなのがずっと続くようじゃぁ... でもまだイマイチわからないのが、これこそが 超絶マザコン坊やの愛情表現だった!ということ。
私みたいな常人には到底理解できない思考ですけれど、映画を最初から最後まで観て 総合的に考えてみれば、その解釈が一番納得いく。
それでもわからないのは、きっと その愛情表現方法が“間違っている”とわかっているからなんだなっ。て結論づけました!
こんなにも 愛情がすれ違った 母子関係ってある?!
すれ違いすぎたその先に待っていた結末...
私、ちょっと泣いちゃいました。
ケヴィンの母親としては失格だったのかもしれない、ケヴィンは悪い環境のなかで育っていたのかもしれない、ケヴィンは本当に狂っていたのかもしれない。
でも、確かに そこには 愛があった。それだけは確かだったはず...
!!しかし!!
たった今他の方の解説を読んで、そうではないかも...と思い始めましたわよ。
どうも、原作と映画では改変は少ないものの、削られている箇所が多く存在するらしい。
たしかに、母親はむしろ仮面をかぶっている存在で 一見 愛を注いでいるようにみえるも、裏ではウザったく思っている などという説明から考えてみても十分納得いきますね。
よって、ケヴィン側からも特別な感情が起きることは特になかったと。
そこに愛は な か っ た !!
ときどき “冷めきった表情” をみせるときもありましたしね〜...
でもねぇ、だからといって完全になかったかどうかは決めつけられないわなぁ。
映画は、どっちとも取れる不明瞭さが、いい意味でいうと含みが ある 作品なので たぶんしばらく結論は出ないなぁ。
とにかく、まずは原作読んでみないとなぁ。
ただ一つ言えるのは... やはり最後の最後のあの場面では、ようやく“母と息子”という関係で抱き合えたんじゃないかな ということです。
そうでないとしたら、もう絶望ですよね。
涙が枯れるわ。