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ピエロの赤い鼻のkomoのレビュー・感想・評価

ピエロの赤い鼻(2003年製作の映画)
4.8
終戦後のフランスの田舎町。小学校教師のジャック(ジャック・ヴィルレ)は毎週日曜日になるとピエロに扮したショーをやり、街の人々を笑わせている。しかしそんな父を見るたび、幼い息子のリュシアン(ダミアン・ジュイユロ)は憂鬱だった。なぜパパは人に笑われるようなことをするんだろう?、と。
そんなリュシアンに、ジャックの旧知の友であるアンドレ(アンドレ・リュソイエ)が自分たちの過去を話して聞かせる。
戦時中ジャックとアンドレは、リュシアンの母・ルイーズ(イザベル・カンドリエ)をめぐる恋のライバルだったこと。
やがて2人はフランス国とルイーズへの愛を表すため、あるレジスタンス活動を行い、一晩ドイツ軍に拘束されてしまったこと。
けれど番兵の中にひとりだけ心優しい男がいて、ピエロのような芸をして自分たちを笑わせてくれたこと……。


戦争映画を観た後は必ず何がしかの余韻が残るのですが、この作品は毛色の違った意味で深く胸に刻まれています。
戦争の悲惨さを畳み掛けて来るものの、殺戮や不条理の物語ではなく、愛ゆえの犠牲の物語でした。

作中、ジャックとアンドレを救ったがために命を落としてしまう人物が2人います。
国も所属も罪の所在さえも越えてジャックたちを生かしてくれたその2人の情は、『博愛』に近いものだと思いました。

もし、自分のために誰かの命が犠牲になったと知ったら。
生涯喪に服し続ける覚悟をするのも、尊い懺悔の形だと思います。
けれどジャックは、ピエロに扮して多くの人々を笑わせることによって故人を弔い続けます。
『懺悔』の場合は、その対象はあくまでも『個人(故人)』でしかありません。
けれど無関係の人にまでプラスのパワーを与えられるのならば、それは『博愛』の精神を故人から引き継いでいると言えるのではないでしょうか。

主人公が犯した罪は大きい。それでも、そんな過去を背負ってこれからも生き続けなければならない。自分の子どもに自分の背を、背負っているものも含めて見せ続けなければならない。
人々の笑い声を聞きながら、ジャックはきっと我が子のことを心の中に浮かべていたと思います。
ラストシーン、目に涙を浮かべながら父に喝采を送るリュシアンの熱量、幼いながらも素晴らしかったです。

愛する家族に見守られながら、懸命に道化に徹するジャックの姿。
ジャックとアンドレの、友でありライバルであり共犯者でもある強固な絆。
結婚前、ジャックとアンドレのどちらにも平等な愛情を注いでいたルイーズ。
絶望的な状況下でジャックたちを笑わせてくれたピエロのゾゾ。
ジャックたちの命の恩人である男性と、その男性の意志を汲んだ妻の、『何もかもを知っていて、それでも赦す』ことのできる強さ。
様々な立場の人物が織りなす間口の広い情緒の物語に、涙が止まりませんでした。
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