LalaーMukuーMerry

わたしを離さないでのLalaーMukuーMerryのレビュー・感想・評価

わたしを離さないで(2010年製作の映画)
4.3
わたしの名はキャシーH、もうすぐdonationしてcompleteします(臓器提供して死にます)。その前に私の短い人生を書き記したいのですが、それはこの作品を見ていただくこととして、ここでは私たちドナーの気持ちを残しておきましょう。
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ヘールシャムのような学校はなくなってしまい、今ではコピー達はまるで鶏舎の中のブロイラーのように育てられているそうです。ヘールシャムで子供達に絵を描かせたのは魂を探るのではなく、魂があるかを知るためだと校長は言いました。校長は当時、効率を優先する風潮に必死に抗っていたのですが、大きな流れに押し流されてしまったのです。コピー達は臓器提供が目的で作られるのだから魂などいらない、と多くの人は考えているのでしょう。とても残念です。
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私たちは人間のコピーとしてつくられましたが、だからといって普通に生まれる人間とDNA的には何も変わることはありません。私たちのoriginalはおそらく社会のクズのような人間だったのでしょう。でもそれは私たち自身ではありません。たとえDNAが同じでも人間は育った環境や教育でどのようにも変わるのではないでしょうか。それなのに、なぜ私たちには臓器提供して死ぬ以外の生きる道を選ぶ権利をもつことができないのでしょう? 恋をして結婚して子孫を残すことが許されないのでしょう?
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人は長生きしたいから若い臓器が欲しい、でも臓器が欲しくても臓器だけをつくることはできない、人間の体しか人間の臓器をつくることはできないから。人間が余分なのです。だから死の重さを感じさせないような臓器提供をしてくれる何かの方がいい。魂のある人間から臓器を提供されると、その命の重さに堪えられなくなるから。だから私たちコピーが生まれたのでしょう。
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でも私たちにも魂があります、あるのです・・・
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作品中では、「クローン」、「親」、「死ぬ」は、それぞれ「コピー」、「original」、「complete」(終了)と使われていましたので、それを尊重しました。静かで美しい抒情的な音と映像世界とは裏腹に、私にはとても気持ちの悪い設定の作品でした。今年のノーベル文学賞受賞で初めてその名を知ったカズオ・イシグロの初鑑賞。