私から奪われるものが目でも耳でも臓器でも
私から培った心までは奪わないで
私から育った愛までは奪われないで
当たり前に生産されて、当たり前に消費される
僕たち、私たちが生まれてきた意味が
臓器提供だけとしての意味ならば
もうそれ以上に苦しむことも
もうそれ以下に悲しみを味わうことも
できないし、する必要がないなどということ
どうして心は人間の中にあるのですか
僕等に何を気づいて欲しくて宿るのでしょう
望みのない人生に何を与えようとするのだろう
誰もが聞いても只の嘘に過ぎない作り話に
縋る思いで描き続けた魂は本当に無駄なのか
それとも、愛する人の存在を感じた時に
生きたいという願いが叶わないのであっても
それだけが生まれた人生の意味になれば
ひっそりと一人で終了を迎える事の怖さを
経験する事はないのかもしれないし
生と死に対しての答えは
"受け入れる"ことの潔さ、或いは覚悟
そして理不尽で、不平等な仕方のなさ
誰にも見届けられずにひっそりと終了したルース
キャシーの傍で見届けられながら終了するトミー
どんな終了を迎えるとしても
愛で生きて、愛で死にたいものです