僕にも幸いながら子供の頃、父親と公園でキャッチボールをした思い出があるけど、あの父親が投げたボールを買ってもらったグローブでキャッチする行為にこんなにも象徴的な意味があったんだなぁと目頭が熱くなる。
キャッチするときの友達が投げたボールとは違う“大きな衝撃”とか、普段あまり言葉を交わさないのにキャッチボール中は夢中で話してるかのような“安心感”とか、そもそも日曜の夕方に二人だけでキャッチボールをできる“日常の特別感”とかボールの受け取り合いを通して確かに“父”と会話をしていた気がする。
野球が身近なアメリカ人ならなおそれが響くだろうし、多くの父親と息子の関係にはきっとこのむず痒さが伴うからこその良いテーマだなと思いました。
これもまた父の日映画
(原田マハの『キネマの神様』を読んで、ちゃんと映画の感想は文に残せる時は残そうと思った次第です)