デニロ

綴方教室のデニロのレビュー・感想・評価

綴方教室(1938年製作の映画)
4.0
1938年製作公開。原作豊田正子。脚色木村千依男。監督山本嘉次郎。子役当時の、って子役という言い方もどうかと思うが、高峰秀子が出演しているとチラシに書いてあったので出掛ける。一目でわかります。

東京市葛飾区四つ木。雨が降るとドロドログチャグチャの道。大雨が降ると冠水。昭和30年代のわたしの町もそんな感じだったことを思い出す。この一家ほど赤貧じゃなかったけれど、サラリーマン家庭だったわたしの家はつましい暮らしをしていた。お金がないのは分かっていたから何かをねだるということもなかった気がする。本作の二男坊の年頃のことは覚えていないけれど。

原作者の書いた作文を基に物語を綴っていく。日常の生活で起こったことをそのまま正直に写し描く。そういう風に指導した先生の教え通りに描いたら描かれたよその家からクレームが付いたりもする。でも大概は自分の家の状況だ。そのことをありのままに書くことで辛さを紛らわせたのだろうか。こどもだって気位のひとつはあります。配給券で少しのお米をもらいに行った帰り道、友人に出会ったらこれ糠漬けに使う糠を貰ったの。

山本嘉次郎監督と言えば、こどもの頃に観ていたNHK「それは私です」の出演者として記憶に残る。映画監督として紹介されていたけれど、無論作品は観ていなかった。フィルモグラフィーから初めて彼の監督作品を観たのは『孫悟空(1959)』の様です。公開後数年後、学校の映画教室で観たものです。悟空が自らの毛を毟って分身を作り出し戦うのだがそれは自らの肉体を弱体化させてもいてその表現がこどもごころに苦しかった。そんな娯楽作だったんだけれど、本作はそんなファンタジーの位相とは真逆のリアリズム。そのリアリズムの苦しさを登場人物の屈託のなさも手伝うのだが実にありのままでしょうがないじゃないかと映し出します。ちゃんと映画監督やっていたんですね。

本作公開の時、原作者は近所の工場に勤めていて相変わらずの貧困にあえぎ、その後、したたかに、でも波乱万丈の人生を送ることになります。

国立映画アーカイブ 東宝の90年 モダンと革新の映画史(1)にて
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