KnightsofOdessa

イントレランスのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

イントレランス(1916年製作の映画)
4.0
No.5[愛と慈悲が悪と不寛容に挑んだ戦いの記録] 80点

グリフィスマラソンっていきなり3時間映画が2つもあって辛い。しかし「國民の創生」の苛烈さから考えると、本作品の"隣人愛"推しは可愛いものさ。その物語展開は後のフォークナーやジョイスが得意とした"意識の流れ"のように重厚に語られ、私は一瞬でノックアウトされた。

①古代バビロニア篇
ベルシャザールは父王ナボニドスが行った"バビロニアの宗教を普遍的な宗教にしよう"という改革を受け継ぐ。これが政府と僧侶の軋轢を生み、彼らはキルスの軍勢に国を売る。主人公"山の娘"の目線から古代バビロニアの崩壊を見つめた一篇。グリフィスは劇的な設定に重きを置き、歴史的観点はある程度参考にしたものの完全に再現するということはしなかった。
イシュタルに祈るシーンは「カビリア」のモレク神のシーンとほぼ一緒。そして金がかかっているせいか一番長いが、戦闘シーンの高揚感は凄まじい。当時の映画としては珍しく(?)首が吹っ飛ぶシーンまである。驚いて二度見した。
そして、"ここはネギを食う場所じゃない"という名言まで頂いてしまった。

②パレスチナ篇
キリストのエルサレム入城から磔刑までを描く一篇。当時、まだ映画は世俗的と受け止められており、宗教を語れるほど位が高くなかった。そして、グリフィスもカインとアベルを組み込もうとしたのが、最終的にキリスト本人の受難に変わった。彼がキリストを描くのは初めてだったが、物語自体は全員が知っているようなものなので全篇を通して最も短く、劇性が薄い。たぶん圧縮したら10分位じゃね。

③中世フランス
ユグノーである"茶色の目"と恋人プロスペルの婚約から死までを描く一篇。ナチス存在以前だったため、グリフィスが不寛容による大量虐殺の舞台としてサンバルテルミの虐殺を描くのは最早必然だろう。一本の映画として製作された割に内容が薄いなと思ったら、不必要なプロットは消しまくったらしい。だからパレスチナ篇と同じくらい短い。

④現代篇
"愛すべき娘"と青年の受難を描いた一篇。「母と法」がベースにある本作品の屋台骨となっている。不寛容による殺人によって崩壊した前三篇と対照的にグリフィスお得意の"ラスト・ミニッツ・レスキュー"で助け出され、不寛容と悪を愛と慈悲で打ち負かす。話の筋は途中「Ingeborg Holm」まんまだったりするが、全体としてはセンチに流していくスタイル。嫌いじゃないけど、ここにハマったらもっと点が伸びた気がする。

という四篇を"意識の流れ"のように紡いでゆくから見事だ。不自然な部分ではリリアン・ギッシュが揺り籠を揺らしながら登場し、彼女が語るように字幕が流れてくる。勿論『響きと怒り』とかには劣るが、四篇のクロスオーバーとしてこの時代に登場したことを考えると及第点なのでは。

1914年、「クランズマン」(「國民の創生」に改題)の編集中、次回作の構想に入っていたグリフィスはスラム街の人間ドラマを描く予定だった。そしてメエ・マーシュとロバート・ハーロン主演の「母と法」という作品として撮影を終え、「クランズマン」の編集に集中することが出来た。「國民の創生」は興行的に大成功を収めたため次回作への期待が高まり、グリフィスは「母と法」を増補することにした。1915年には撮影も終了し、本作品のフランス篇の卵とも言うべき次回作の構想を練り始める。そして、この時期イタリア映画を見まくっていたグリフィスは「失楽園のサタン」及び「カビリア」に出会うのだ。これによって三度心が変わったグリフィスはフランス篇の撮影終了後、すぐにバビロン篇の準備に取り掛かる。やがて一般試写となったとき、グリフィスは自身の名前を隠し、イタリア映画として公開する。当時歴史スペクタクル映画はイタリアが市場を独占していたせいか、グリフィスは本作品がイタリア映画として認められれば、自身の演出が認められたと思ったらしい。しかし、どこの上映も結果はイマイチだった。そして、結局ヨーロッパでは熱狂的に受け入れられるもアメリカでの興行は惨敗、製作会社を潰した上、バビロンはしばらくハリウッドに残り続ける。

結局、人間が他人から無条件で愛されているのは揺り籠に揺られているときで最後なんだよ。
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