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ビフォア・サンライズ 恋人までの距離のnetfilmsのレビュー・感想・評価

4.1
 ハンガリーのブダペストからパリへ向かう特急列車の中、50に差し掛かる手前の夫婦が妻のアルコール依存症のことで口論になり、その甲高い声が客車の中に響き渡る。4人掛けの椅子の真向かいに座ったセリーヌ(ジュリー・デルピー)は読書に集中出来る筈もなく、彼らから少し離れた後ろ側の場所に席を移す。そこで通路を挟んで向かいに座ったアメリカ人のジェシー(イーサン・ホーク)と顔を合わせる。それが2人の男女の運命的な出会いだった。普通ならば一言二言会話を交わして、互いに夢中になっている読書に戻る筈だったが、どういうわけか波長が合う2人は互いに本のタイトルを見せ合う。女が読むのはジョルジュ・バタイユの最高傑作である『マダム・エドワルダ』、男が読むのはドイツ人俳優クラウス・キンスキーの自伝本だった。同じ読書でも微妙にレイヤーの異なる2人の興味だが、ジェシーはセリーヌを食堂車に誘い、四方山話に華を咲かせる。女は自信ありげに笑顔で話す男の目を見つめ、彼の話に聞き入っているがフランス女性らしく、要所要所に上手く切り返し、自分の話に持ち込む。列車はあっという間にオーストリアのウィーンに着き、あらかじめ下車を決めていた男は名残惜しそうに降車する。だが男は自分の直感に正直になり、セリーヌが座る食堂車にUターンする。「一緒に街を歩きながらあれこれ話さないか」というジェシーの提案に女は微笑み、2人仲良く列車を降りる。全ては男が次の列車に乗る午前9時30分までの出来事だった。

 パリへ向かう列車の中で偶然出会ったアメリカ人男性とフランス人女性の運命の恋。男と女は無目的なまま、土地勘のない街であるウィーンを散策する。最初は少し手持ち無沙汰で、オーストリア人に話しかけ、『ウィルミントンの乳牛』の切符を貰った2人だったが、いつしかインテリ同士の会話は鳴り止まず、最良のインタビュアーにされたインタビューのように、丁寧に言葉を選びながらも饒舌に飛び出す言葉は留まることを知らない。13歳で亡くなったエリザベスの墓、レコード屋の試聴室の狭い空間の中で聴いたKate Bloomの『Come Here』の美しきメロディ、黄昏に沈む街を見下ろす観覧車、老婆が50シリングで引き受けた手相占い。それら小さなイベントの数々が2人の心にさざなみを巻き起こす。14時間だけという限定された時間内での2人の恋は、セリーヌを一夜だけのシンデレラに変える。2人の会話は単なる与太話から、互いの人生観を巡る考察へと変わり、やがてリンクレイターお得意の哲学的・実存主義的な議論へと深まって行く。セリーヌはたった数時間だけで、ジェシーの性格の欠点を言い当て、単刀直入にここが良くないと忠告する。その2人の空気感の濃密さが、午前9時30分になれば全て消え失せてしまう。

 宿無し詩人が書いたポエトリー、ライブハウスで飲むアメリカ産瓶ビールとピンボール、誕生日の踊りと電話ごっこ、覗いた地下のハープシコード、男も女も限定された時間の中で去来する互いへの思いだけが感情をざわつかせ、目の前の相手への思いに恋い焦がれる。赤ワイン片手に寝そべった芝生、セックスなんていらないと笑顔で話す男の言葉を遮るように口付けを交わす2人の温度。その後、無造作なストレートだった女のブロンドの髪はラフな編み込みに変わり、セリーヌは大人の女性から少女のような愛くるしさへ変わる。まだSNSも無かった頃の恋愛と男女が交わした不確かな約束。その余韻に浸る男女の満ち足りた表情の切り返しに思わず涙腺が緩む90年代恋愛映画の紛れもない金字塔である。
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