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泥の河の小のレビュー・感想・評価

泥の河(1981年製作の映画)
4.2
角川シネマ有楽町の「小栗康平監督全作品特別上映」にて鑑賞。鑑賞後深い余韻を残し、あれこれ考えさせられる映画を名作とするのなら、この映画は間違いなく名作だろう。戦後、体にも心にも傷の残る日本人同士の距離感をベースにしながら、普遍的なテーマである友情を描いた作品。

昭和31年夏、庶民の暮らしは楽ではなく「スカ」みたいな生活を強いられ、戦争で死んだ方がまだましだったと思うようなこともある時代。

舞台は大阪・安治川の河口。川べりの食堂に住む少年・信雄はある日、同い年くらいの喜一と出会う。喜一は対岸に繋がれた舟に姉の銀子と母の笙子(しょうこ)の3人で住んでいて、笙子は売春で生計を立てている。

優しい両親のもとで育った信雄は、他の子どもが敬遠する喜一、銀子と親しく付き合う。信雄の両親も2人を暖かく迎え入れるが、信雄には「夜はあの舟に近づくな」という。

天神祭りの夜、2人は祭りに出かける。そこで喜一が信雄の母からもらった小遣いを落としてしまう。あきらめて引き上げる2人だったが、喜一は信雄を慰めようと舟に誘う。そこで信雄は…。

笙子の一家が放浪生活をつづけているのは、生きるためにやむを得ないことであっても、免れることのできない社会の偏見や差別から子どもたちを守るためだろう。

信雄の両親は人情味あふれる、人間性豊かな人達である。しかし、そんな両親でも自分が生きるのに精一杯で、過去に人を傷つけたこともあるようだ。社会の偏見や差別をおかしいと思っても、それに抗う余裕はない。

笙子は子どもたちが幸せにやっていけるか確かめようと信雄と顔を合わせる。その笙子に、何も知らない信雄は「おばちゃんもうちに来て」と言えるけれど、信雄の両親は笙子に接しようとはしない。

子どもとはいえ信雄も親を通して伝わってくる社会の空気を敏感に察している。しかし、信雄は気づくのだ、そんなことが僕らの友情と何の関係があるのだろうと。お互いをかけがえのない親友と思う僕らの友情は、紛れもなくホントウなのだと。

その気持ちが喜一と銀子に伝わったかはわからない。とても切ないけど、友情は社会の枠にとらわらないものであることに気づいたであろう信雄に希望を感じる物語。

小栗康平監督のトークショーがあり、監督は「場所の映画」だと話していた。食堂、河、舟の絶妙な位置関係にこだわり抜いた結果、ロケ地は名古屋市の中川運河になった。

自分が思ったことは、同じだけれど、「距離の映画」。舟は信雄の部屋からよく見える近い距離にいる。しかし間には河があり、相手はいつでも遠く離れていってしまう。近いようでいて、何かのきっかけで遠く離れていく距離関係は、人間関係のメタファーのように思える。

なお、この作文の最中に認識したことだけれど、「午前十時の映画祭8」で9月9日から10月6日まで上映予定。

●物語(50%×4.5):2.25
・社会の空気に従い、同調することにホントウの幸せはない、みたいな好みのストーリー。

●演技、演出(30%×4.5):1.35
・ロケ地の妙。信雄のお父さん役の田村高廣さんが好き。藤田弓子さん、加賀まりこさんの配役にスキなし。子役はちょっとぎこちないところもあったけれど、今の子役って演技上手すぎの子が多いからなあ。ただ、スピルバーグは子役の演技を絶賛とか。

●映像、音、音楽(20%×3.0):0.60
・モノクロ映像の雰囲気が良し。
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