shibamike

泥の河のshibamikeのネタバレレビュー・内容・結末

泥の河(1981年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

映画のストーリーを真に受けるなら、宿船(廓船)に住む姉弟のお姉ちゃんもいずれは客を取るようになるのだろう。母親の加賀まり子もそうはさせたくないが、じゃあどうすればいいのか?どうすることもできず結局、船上の毎日が続く。他のレビュアー様が書かれていましたが、加賀まり子みたいにあれだけの美人だと庶民の生活に溶け込むの難しそう😣お目目がぱっちり。吉川ひなのに似てると思いました。(時系列的には逆ですね。吉川ひなのが加賀まり子に似てる。)

蟹を笑いながら燃やすきっちゃんと男に抱かれる加賀まり子を観てしまったときノブオはどう思ったのだろうか?自分の家の幸せを恥じたのか、きっちゃん家が自分家と違いすぎることに戸惑ったのか、きっと、言葉に表せないほどたくさんの感情が胸に渦巻いたのだろう。

田村高廣のこの父親像というのは父親の理想形なのじゃないかと思った。恐らく存在しない(笑)。優しくても仕事はしないとかならわかるが、本作では仕事もするし(金つば、美味しそう)、優しいし、とスーパーマンだ。お祭りの約束は急に破ったけど(原作には何か理由も書いてそう)。

途中で入院中の女性に会うシーンがあり病室で母親 藤田弓子が「申し訳ございませんでした!」と土下座するけど、あれは略奪婚してしまったということなのだろうか?だとしたら、藤田弓子偉いよ!昨今のゲス不倫連中にはそんな気概無いぜ、きっと。(まあ、これは作り話ですが…)

映画の舞台は終戦10年後。1955年頃。新聞には「もはや戦後ではない」の見出し。しかし、庶民の生活に目をやってみれば、別段暮らしは良さそうでもない。あちこちに戦争の遺産がチラついている。世の中を隅から隅まで見渡して国民全員が安寧な暮らしになってから「もはや戦後ではない」なんて言おうとしたら、永遠に言う機会は無いだろうし、メディアが一概に悪いとも思えない。戦後直後に日本を絶対に立ち直らせると発奮した人たちの意気込みを思えば、確かに急速な復興だったのだろう。「もはや」と新聞の文字を読んで元気が出た人もいただろうし、怒った人もいたのだろう。
ただ、父親がポツリと言った「戦争はもうこりごりだ、と言いながら隣の国の戦争で銭もうけ(~以下、失念)」のようにウンザリしてしまうのはもっともだとは思った。

登場する主要な子役3人は全員素晴らしかった。きっちゃんが個人的にはいじらしくて好きだった。
「こんばんは。こんばんは。こんばんは。こんばんは。…こんにちは!」は笑った。あんなの絶対に笑ってしまう。
きっちゃんが砂場で自分の靴に砂を溜めて遊んでいるシーンがあり、自分も小さい時にそんなことしたわ~と懐かしい気持ちに。今思うと意味不明すぎる(笑)

終わり方も潔くて好感が持てた。ああいう終わりの方が個人的には好き。
ノブオの声がきっちゃんに聞こえたかどうか。
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