えいがドゥロヴァウ

脳内ニューヨークのえいがドゥロヴァウのレビュー・感想・評価

脳内ニューヨーク(2008年製作の映画)
4.8
ホロ酔いに任せて脳内の記憶で徒然と綴りやす

惨めでしょうもなくて哀しみばかり
だからこそ愛おしくて尊い
奇想の脚本家チャーリー・カウフマンによる初監督作品
彼が全身全霊をかけたことがひしひしと感じられる本作が描くのは
そんな「人の人生」というものの在り方

エンドロールに流れる曲"Little Person"のしっとりと温もりのあるトーンがひたすらペシミスティックなこの映画を優しく包み込んだときに
あぁ、これはとても寛容な人生讃美なのだと心に沁み入るものがあって
その余韻はもう、極上ものなのです
本当に大好きな作品

主人公の劇作家ケイデンは半ば才能を認められつつも
その私生活はズタボロ
彼は莫大な賞金を得たことから
広大な演劇場を舞台に
自らを取り巻く人や環境、ひいては彼にとってのニューヨークという街をそっくりそのまま再現しようとします
決して現実を美化・理想化することもなくありのままを曝け出し
日々の生活で起きることを逐一取り入れていくものだから
いつまで経っても劇は完成しません
かくして永遠に封切りのされない演劇という矛盾を孕んだ大いなる自己投影は
虚像と実像が入り乱れながら
惚れた腫れたの悶着があったりなんかして
複合的なメタ構造を織り成します

現実と折り合いのつかない自分自身を演劇に投影するケイデンは
完璧主義的で猛烈なエゴを抱いていて
そのエゴのせいで何もかもが上手くいかないのに
何だかんだでそんな自分が好きなんだろうなぁと
自己憐憫と自己陶酔が共存している感じが
人間臭さを感じさせます
色々と拗(こじ)らせています
大変です
作家というものの業が透けて見えるかのよう

原題にあるSynecdocheとは"提喩"を意味します
ケイデンの演劇は「ニューヨーク」や「人生」の提喩であります
森は木、木は森、みたいな…
メタ構造はチャーリー・カウフマンの十八番でありまして
『マルコヴィッチの穴』でのジョン・マルコヴィッチの頭の中に入り込む行為だとか
『アダプテーション』の映画そのものの脚本を作る過程を映画にしていることだとか
『エターナル・サンシャイン』の記憶の中でのもがきだとか
そのような観点から見ても
本作は彼にとっての総決算のように感じられるのです
まぁでも、そんな複雑な構造に惑わされずに
前述したようなテーマ性を想像しながら観てもらえれば
すっと心に入ってくるものがあるのではないかなと