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人間魚雷出撃すのmireiのレビュー・感想・評価

人間魚雷出撃す(1956年製作の映画)
2.9
人間魚雷出撃す (1956)古川卓己 監督

なんといえばいいのだろうか、とても残念な終わり方、中途半端な映画であったなという素直な感想しか出てこない。
もちろん人間魚雷は実際に存在していて、何人もが特攻隊のように敵軍(アメリカ)戦艦に追突し、亡くなっている。
実際にあった話を、つまらないだとか残念な終わり方だとか、なかなか言い難いが、この映画は本当に中途半端であった。
すでに敗戦色が濃くなってきた戦時中の日本の話である。
そうなると特攻隊や人間魚雷というものが次々と生み出され、若者の命が簡単に失われていく。そういったとても悲しい時期が訪れるのだ。
今回はそこに焦点を当てた作品ではあるが、出撃するまでの尺はとても長いのに出撃する時の場面、そして出撃した後の尺があまりにも短く、あっさりとしていた。
この監督は一体人間魚雷のどこに焦点を当てたかったのか、いったい何というメッセージを伝えたかったのか、私にはそれが掴めなかった。

そしてこの映画を作成している年代も関係しているのかもしれない、アメリカが関係していたのかもしれないが、なぜか青年たちは全員みずから希望し、自らの意思で出撃していたのだ。
勿論そういった青年達もいたのかもしれない、だが全員ではないはずだ。家族に会いたいという希望や単純に死にたくないという思いが、この作品に出てくる海軍の青年達、彼らにはもうなかった。自分たちはもう戦艦に当たり散るしかない、そうするしか国の役に立たない、そういった洗脳的、非人間的な考えがこの映画から濃く混じられた。

あとは技術的な面だが、7割何言ってるか分からない程に音がこもっていた。イヤホンで何度も聞き返したが、字幕がないと理解できない会話がいくつかあった。とても残念だ。

石原裕次郎がおそらく主人公であり、最後まで残っている人間ではあったが、その彼も最終的には散ってしまう。30秒あまりで散ってしまう、主人公のはずなのに。
こちらも技術的な問題かもしれないが、散る際の場面(水中からも空からの映像もほぼない)があまりにも一瞬でよくわからなかった。あともう少し力を入れてほしいと思ったのが、何度も同じ映像を使い回している部分があった。制作時、費用などの問題でそうせざるを得ないことがあったのかもしれないが、こちらも少し残念に感じることがあった。

特攻隊の作品はとても多く感じるが、海での特攻人間魚雷の作品はあまり多いとは思わない、今回はそういうこともあり、鑑賞したのだが、
想像していたのと違った、というのが率直な意見だ。
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