ニューランド

旅する人々のニューランドのレビュー・感想・評価

旅する人々(1937年製作の映画)
4.0
☑️『旅する人々』及び『予審』▶️▶️
本来、ドイツ映画の作家の印象はそうない、名監督2人のドイツ時代の、題材の通俗さを刷新する重厚世界。
『旅す~』。 映画的な、トリック·スペクタクル·どんでん返し等、大した意味·意義はない。色んな食い違いから大事が起こるのか、また真実を知らされて人物は驚愕し態度を変えるのか、結局、大した発見·変調もなく、なるようにしかならない。しかし、表面的·映画的見せ場より、もっと価値あるものを本作は表し抜く。それは、その流れに織り込まれた、実を深い所で結ばせてる、人間の心情·対象や事件への沿い方·密着具合、それは人間を越えて動物の懸命さ·素直さ、世界のあり方·動めきとリンクしている、底光りという形を越えた存在となっている。
フランス語も分からないので、フェデーの位置づけはよく分からない。少なくとも、未だに私には信頼すべきか未定の(周囲に昔からフランス映画はいいけど、どうも··ていう人間が多かった)トリュフォらカイエ=NV派(批評分野)は、カルネ『天井~』には礼讃を示したが、フェデーの『雪崩』や『女だけの都』を賞賛してるのは聞いた事もない(スパーク=ロゼーとの三部作や’20年代中期文学もの、よりは劣る脚本のみ作『灯台守』がアヴァンギャルド味から取り上げられるくらいか)。しかし、少なくともトリュフォよりはフェデーの方が私には昔から偉大だ。
脱獄囚が、元妻と我が子が猛獣使いや曲馬芸してる、移動曲馬団に逃げ込み、その如才なさで団長に気にいられてく一方で、昔の仲間に誘われ脅され、金のチョロまかしや·停電起こし盗みのタイミングミスで元妻にも怪我を。団長の娘と駆け落ちを図った息子は、当日先手を打たれ、パリにいた嘗ての団員の多情な女にはまる。指名手配や仲間のチクリの危険を冒して、パリに飛ぶ父。新しい生命と囲む広い幸福が生まれ、その陰で旧世代の命が消える。
そう、大して興味を惹き、夢中に我を忘れる、といった内容でもない。ワイラーの’50年代作品もそうだが、スタンダードなカット割り·カットの流れにも沿っていない。ワイラーは映画的な組み立てよりも、彼の内的に感じる、迫真のウソのないシュートの長さを、切れ目の節度よりも優先させた結果だが、個人的にはあまり好まない。が、フェデーは真逆である。傾き図、仰角、俯瞰め、ロー、(動く)陰影、動物生態、大型トレーラー(の果てない列)、室外の廊下·屋根·通路、そして根太い光と陰、それら·その種の中でも大胆で程度を抜けてる、メインを彩り変化を与えるドラマからはギミック的なものが、物怖じしないデクパージュで、普通のものとして繋がれ·息づき、表面的事件さえ脇に置き、人間のドラマさえ猛獣の生理の表現と同列·時に従属の位置でのものでしかないかたちで、それこそ映画だけ·あるいは内なる周囲配慮を従わせた筆致が、表現できる現実を超えた内なる真実·美·力として自生させてゆく。もちろん、ドラマをつくるトゥ·ショット、切返し、も普通に機能しているのだが、誤った停電処理で殆ど闇が主体となっても、ドラマと配置の絡みで観てる側は主体的に共存すべく、より深く入ってける、ということだ。この目に見える事象よりも、一見見えず独自に刻み美のあるべきを刻む明確な形を超えるものが存在することは、前作?『女だけの都』で鮮やかだったが(何故か始め観た短縮版にそれを感じ、残虐シーンを復活させた全長版では、すこし印象がトーンダウンした)、それを通俗話レベルでより広く太く再現したのが本作かもしれない。悪意に対する善意、不運に対する幸運·幸福、いつしか後者が当たり前に染みてくるが、前者を比較·バネにしたストーリーなど、まるで無力に追いやっている。モンタージュのタイミング·効果よりも、大きなものが存在するということだ。「少しのキッカケで転落·狂う人生」を補正してく無意識の共通方向の生の営みと対処が集合の力を現してゆく。90°変を含む·こうるさいもより根太く滑らかなどんでんやリバース、必ずしも事件ポイントと重ならぬ細やか正確な照明、気づかれぬ細やかな角度·ショット変繋ぎ、DISやWIPEや並行描写の活用、時に感得前に切られるデリケートな前後移動は·別の時はいつしか視界の営み如く大きく廻りかけてる、サーカスや街並みの大セットの威容以前に溶け込み、長めフォローや長回しフィットめからは描写明示に到ってないものの察知が先見的に滲み出す、らの働きも掴めくる。溝口は、スタイル·描く対象·変移ぶり·生年などから、ルノワールと対比されることが多いが、内なる世界はこの先達により近い気もする。
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『予審』、シオドマーク。アメリカ時代の仕掛けから運びの一応スマートなミステリーに比べ、ダークにまで染まらず人間と社会の多面と一体化し、そのあり方自体が、しつっこく·粘っこく·懐ろを抱えて、決してスッキリしない、その総体を愛し捉まえている、ドイツ的?深みにはまる人間自体の本性についてのミステリー。アパートや勾留所の、各々の階段や部屋出入口の狭さ·勾配·纏まりや、一転廊下などの広い懐ろ。そこで部屋の出入りの縦·どんでんめ、横·同じ動きを追い被せ方、手もとのCU入れ、苦悩のわめき·叫びと自制のジレンマ、室内の壁も触り動き·音出しての密着·圧迫、それは親密安心か厄介小うるさいかを行き来の錯綜·緊密·本意外密着人間関係にも、それらがミステリーサスペンスより心理サスペンスを導き充たす。
結婚に絡む邪魔な前(今)の情婦と話をつけるバタバタの中、情婦が殺害される。当人·その親友(結婚相手の兄)らを、予審判事として対するは、兄妹の父。様々な疑惑·庇い·混乱が渦を巻いてくも、予想外の情婦の思わぬ大金受取とそれに目をしたアパート住人の行動、の目撃証人が。
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