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ラスト・ハーレムのotomisanのレビュー・感想・評価

ラスト・ハーレム(1999年製作の映画)
4.2
 ロレンスが不逞白人としてしょっ引かれ屯所で鞭打ちを食らってる頃宮殿では、イタリアオペラの小舞台もはねて後宮も閉ざされると夜毎の寝物語が始まる。かつては千と一夜物語を替え帝の改心を待ったなんて事もあったが、その夜ついに話に倦んで楼名主が振った相手は使用人頭。勿体に勿体ぶって語るのは、後宮は初日の若い女と入れ違いに後宮から退ける元の愛妾とのひとときのやりとり。帝にお仕えするとは、後宮とは、そして、いつかサフィエというお方の話に流れて...
 寝物語を離れて、ところと時を違え幾度そんなやり取りが往く女来る女の間で交わされたろう。そしてはるか後年イタリアの鉄道駅の待合で昨日を捨てた若い女とこの地に寄り付いたかつてのサフィエとの間に数十年ぶりでよみがえる。
 バーン=ジョーンズが描きそうな細面のサフィエ。事件を梃子に皇帝の耳目を惹き、機知の働きでつけ入って寵姫におさまると、野心的宦官ナディールの片棒を担ぎ二人の子種を皇帝の実子とまんまと偽って、あげく二人は恋愛を。
 こうした事をよそに下界では共和国派が新政府を立て、英仏露はトルコ解体統治を企み、英軍は後宮まで50kmに達してしまう。皇帝の身と名誉の保証をかけての攻防もあったろう、目端の利く奴は盗れるものを盗って逃げもしたろう。給糧も断たれる中ある日後宮の面々もいきなり自由と解放を突き付けられるが、その使い方も使えるのかも分からない。サフィエもそれまでに皇帝の子たる"二人の子"を運拙く亡くし、ナディールは皇帝に随行して亡命。5年か10年ばかりの内に人生のピンからキリまでを浴びせられ、あとはお好きなようにと運命は告げるらしい。
 おそらく初めて自由意思を用いてハーレム・ソワールの契約を交わし世界中を巡業して行き付いた故国イタリアでナディールの訃報に接する。昔も愛妾たちがそうしたように物語を促すアニータには、しかし、ナディールの消息を偽る。その心の裏にサフィエの泣き所があるのだろう。生きるための選択で、初めての思うままの選択で、帰国し再会できたナディールを遂に喪った大間違いに、ナディールと共に生きられなかったその日の心の内も自由である事さえも恨んだろう。
 このようにして、涙を流した分強く生きてこれたという話のまことを偽っても、涙をこの待合室で示さぬ事は若い流れ女への餞であったかもしれない。ナディールが別の道を行き幸福でいると語る事に、それでよかったと。誰かが幸福なのは幸いである。と伝わる事だろう。行きずりの二人、二度と会うまい二人の語って聞いてが何になったか知れないが、昔見た夢が潰えて叶ってまた潰え、その傍らであの人も夢が叶って、夢見ずに他力で叶う運命の顔色伺いに疲れる悲愁を振り払って、みんなどこへ向かったのだろう。
 専制国の後宮でさえ人間隙あらばああしてやろうと企みもするし、自由な中の分岐点でも、しなきゃよかった選択がある。どんな世界にあろうとも、誰のどう生きたかを尋ね、ならば自分はどう生きたいか自問せよと突き付けながら、ツケも自分払いがフェアとコッソリ迫るようであった。
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