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一番美しくのRのレビュー・感想・評価

一番美しく(1944年製作の映画)
4.2
皇国日本のためにさらなる貢献を!ということで、軍需工場が特別増産期間に入るとこからストーリーが始まる。普段の倍の生産量を目標として提示された男、その半分が女子の目標だ!と言われたのを、いや、私たちはもっと頑張れる!と2/3にまで上げて、病気や疲労や喧嘩などモチベーションを低下させる様々な出来事を経て、辛抱強く、誠実に、我武者羅に頑張り抜く健気な女子たちの姿を、深い愛情を込めて描いた作品。実際戦時中に公開されたようで、当時これを見て、私も、オレも、頑張らないと!と燃えた人がどれだけいたことか! しかし、公開当時と比べて、見て受ける印象がこれほど変化した映画もなかなかないんじゃないだろうか。出てくる人物全員の、互いに対する深い思いやりと、義務に対する熱意は、いま見ても感動的であるんだけど、その感動が深い分、悲しみも同じく深まっていく。だっていまの我々は知ってるんだもん、こういう子たちの純粋さと真面目さが、軍事政権によって侵略戦争のために利用されていただけだということを。そして、運良く戦争を生き残った人々は、信じていたものにそもそもはじめから裏切られていたことを知ってあるいは絶望し、あるいは憤慨し、またあるいは無力感に打ちひしがれ、戦後のカオスに飲み込まれていった。そういう事実を知ってしまってる。だから見てる間ずっと感じるのが、どれだけまじめに情熱を持って頑張っても、信じるものが間違っていたら、それは不幸にしかつながらないという厳然たる事実。人間は信じて行動するということをひたすら繰り返し、無理やりにでも信じるということをしなければ行動することができない生き物だと論ずる人はたくさんいるが、てことは、信じるものを間違ってしまうことほど人間を不幸にするものはない。そして、この女子たちは、まさに間違ったものを信じた状態にあった。国家神道、皇国、戦争に勝つということ。疑うことをせず、それを信じきっていた。人々は、自分の信じているものの本質が、あらゆる視点から見て、絶対に誤りのないものであるかどうかについて、おそろしく無関心だ。正邪、善悪すらも不問に付して、いかにも平然としている。疑うということは実は非常に大切で、自分が信じているものに対する検証の契機となり、間違ったものへの盲信という呪縛から自らを解き放つ唯一の道となる。そして、信じていたものに間違いがあれば、それを変えるしなやかさを持っていなければならない。ともあれ、人間は何かを信じなければ、生きていくことができないし、逆に考えれば、正しいものを信じていれば、必ず幸福になるとも言える。この映画の女子たちが、そのエネルギーを正しい信念へと注ぐことができたら、それはそれは素晴らしいものになっていただろうことは容易に想像がつく。では、信じてあやまたないもの、この世界で絶対にまちがいがないと言いきれるもの、それはいったい、なんだろう。いくら信じこんでも、欺かれることのないもの、なんの悔いも残らぬもの、そんなものがあるのだろうか。神は科学の興隆とともに消え去り、科学は万能でないことがわかった。権力は人間を狂わせ、主義は世界を分断し、国家は戦争を引き起こす。富で心を満たすことはできず、メディアはまさにカオス状態。愛は移ろいやすく、家族や友情ですら常に関係性の変化する緩やかな紐帯でしかない。自分の経験には偏りがあり、自分の心はころころ変わる。真理の認識すらも個人の人生の問題に解決を与えてくれるものではない。あらゆるものが、本質的には役に立たなかったり、裏切りとなったりするなか、永遠に変わることなく、絶対に信じて損のないものが、この世にあるのだろうか。そういうものこそを求めなければ、人生はただ通り過ぎて終わる、無意味ではかない夢のようなものになってしまうではないか。そんなことを考えながら、見ていましたとさ。で、あとは…女同士でも互いを比べ合うことをせず、謙虚さを持って共通の目標に向かっていれば、敬愛に貫かれた信頼関係が結べるんだろうなーと思った。現代人には無理そうやけど笑
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