模倣犯のラストシーンは何故あのようなラストシーンだったのだろうか。
大人になれば判る時が来るかもと思っていたので再度考察してみる。
今思えば、ボールを投げ終えて時間が経っていて油断しているところに、
タックルされたら誰も防ぐことはできない。その事象に似ている。
つまりあれは、誰にも予見不可能な事象だった。
逆に言うと、人にはある程度の予定調和に対する信頼があり、
これを逸脱する行為は反則となる。
しかしたしかに、物理的な反則行為は傷害行為として
許されるべきではないが、
精神的なレベルで語った場合、
その反則は本当に倫理的に許されないことなのだろうか。
現実世界という予定調和の破壊が映画の価値なのだとすれば、
監督の精神的レベルにおける反則行為は逆に称賛の余地はありえる。
その仮説の正しさを確かめるべく、再度「あのシーン」を体感するべく、
動画等を探してみたもののどこにも無かった。
真実は闇の中なのだ。