クシーくん

さらば、わが愛 覇王別姫のクシーくんのレビュー・感想・評価

さらば、わが愛 覇王別姫(1993年製作の映画)
4.8
伝統芸能の世界に生きる人々のドラマを扱った作品って良いなあ。大好き。そこに同性愛的な要素が付随されると赤江瀑か皆川博子の文学のようだ。3時間近いが全然長いと感じない。寧ろもっと観たい。そんな気にさせられる映画もなかなかない。

敢えて一言をもって評するならレスリー・チャンの色気に尽きる。ペロリと舌を出して自分の唇を舐めるレスリー。妖艶過ぎる。反則だよ。
鮮烈な色使いと美術も相俟ってか、作中の人物がいみじくも宣ったようにまるで虞美人が現世に顕れたかのような魅力。感嘆に尽きる。

とは言うものの、強い印象を残すのは少年期の方が多いように感じる。師匠からの壮絶な体罰と厳しい稽古は思わず目をつぶりたくなるほど痛々しい。そして耐えかねた小豆子と小癩子が抜け出した先で「覇王別姫」を観るシーンに泣く。ただ静かに涙を流す小豆子と、ボロボロ涙をこぼしながら「何度叩かればあんな演技が出来るようになるんだろう」という小癩子の台詞が最高に美しい。子役は皆可愛いし、何より演技がびっくりするほど上手い。実際の現場でも相当大変だったんだろうな。小豆子が石頭の傷口を舐めるのは濃厚なエロティシズム。よく許可が下りたと思う。

蝶衣と菊仙(コン・リー)の愛憎関係が少しづつ形を変えていくのが面白い。お互いを憎悪し合っていた二人だけど、実は誰よりも境遇が似た二人で、だからこそお互いにない物を持ってる相手が耐えられないんだよね。菊仙ももう一人の虞美人だったからこそ起こる悲劇なのかな。三角関係という言葉などでは到底言い表せない。
蝶衣は親からも時世からも見放されてただ役者として演じること、小楼の相方でいること(=彼を愛する『虞美人』であること)が全てで、そこに自分の実存を置いていたが故に、現実の彼は常に空虚で阿片で気を紛らわせながら霞のように生きる他なかった。ただ小楼のために生きる時だけが彼の本質だったのに、あまりにも報われないのが観ててもどかしい。

レスリー・チャンは張豐毅(チャン・フォンイー)について「彼は自分の役を読み違えた。二度と共演したくない」とまで言い放ったという話を目にした。真相は良くわからないが、恐らく張豐毅は同性愛についてまるで理解がなかったのではないか?後年LGBTであることを公表したことでも知られるレスリーは香港の自由な気風で育ったのに対して、張豐毅は作中でも言及されていた四人組が猛威を振るった文化大革命真っ盛りの時期に少年時代を過ごした筈で、そこに二人の価値観の相違というか、齟齬が生じたのではと思う。私も正直言って段小楼の余りにさばけた冷淡な態度(=張豐毅の演技)には若干納得いかない物を感じたのだが、それは私自身が蝶衣に肩入れし過ぎているからだろうか。現実と演技を混同する蝶衣(=レスリー)の魔力に踊らされているような気さえする。

あ、あと袁先生が気持ち悪すぎる。なんだその鏡越しの登場。
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