螢

さらば、わが愛 覇王別姫の螢のレビュー・感想・評価

さらば、わが愛 覇王別姫(1993年製作の映画)
3.9
いやもう、すごかった。圧巻の出来。壮大で、激しくて醜くて、なにより、哀しくて美しい。約3時間、全く退屈せず。

京劇役者の二人の男とそこに関わった一人の女の、愛憎という言葉では到底足らない複雑な関係と生涯を、京劇の名演目「覇王別姫」をモチーフに、日中戦争の頃から文化大革命終了までの激動の中国近代史50年の時間軸の中で描いています。

1924年、娼婦の母に捨てられて京劇の俳優養成所に入った少年蝶衣(幼名:小豆子)。体罰が横行し生活空間も劣悪な中での唯一の慰めは兄弟子である小楼(幼名:石頭)の存在。
日本と中国が激突した盧溝橋事件が起きた1937年には、二人はコンビの人気役者となっていた。特に、女形である蝶衣の儚くも妖艶な色気と演技は人気を博していた。

二人が頻繁に演じていたのが人気演目の「覇王別姫」。四面を敵に囲まれた絶体絶命の中、悲劇の英雄項羽への愛情と貞操を誓って彼の目の前で己の首を切り落とす愛妃虞姫役は、「舞台と現実、男と女の区別がつかない」と言われた蝶衣の当たり役だった。

虞姫が項羽に一途で苛烈な想いを寄せるように、小楼に強い恋情を感じていた蝶衣。けれど、自分を弟としてしか見ていない小楼にそれを告げることはできない。そして小楼はあろうことか、自分を捨てた母と同じ娼婦である菊仙と結婚してしまう。

小楼を間に挟んで生まれた三人の拗れた関係は、その後ずっと続いていく。二人の人気が絶頂の時も、落ちぶれた後も、離れている時も。
1945年の日本降伏時も。
1948年の国民党政府の台湾逃亡時も。
1949年の人民共和国成立時も。
1966年の文化大革命勃発時も。
そして、京劇役者だった二人が文化大革命の粛清対象として引き立てられた時、三人の中にそれぞれ燻っていた愛と憎しみが、残酷な過程の中で引き摺り出されて…。

特に描き方が見事だと思ったのは、蝶衣と菊仙の関係。世間を知らず自らの世界に逃げ込みがちな蝶衣はともかく、世間を知ると同時にしたたかでもあった筈の菊仙が蝶衣に示した、敵意ばかりではない、同じ男を愛した者への同調や連帯、そして優しさがあったこと。
大戦後日本に与した戦犯と弾劾される蝶衣の危機を救ったのも、アヘンに苦しむ蝶衣を抱きしめたのも、文化大革命を前に失意を味わった蝶衣に寄り添いをみせたのも、菊仙だった。

文化大革命の悲惨な出来事をきっかけとして絶縁していた蝶衣と小楼が革命終結後の1977年に出会った時を描くラストは、あまりにも哀しい。
でも「舞台と現実の区別がつかない」蝶衣にとっては、本当にそれだけが彼の全てだったのかも知れない。

最後に。蝶衣を演じたレスリー・チャンの、まるで役が憑依したような、儚くも妖艶な色気が、ぞくぞくするほど見事で、本当に魅入られてしまいました。
色々な点で見る価値ありの大作です。
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