るるびっち

樋口一葉のるるびっちのレビュー・感想・評価

樋口一葉(1939年製作の映画)
3.8
こちらはマナー教室の生徒に見せたい佳作。
テレビで目にする、うるさいマナーおばさんたちに美は感じない。
マナーって押し付けられるものじゃないのでは?

人物の所作、言葉遣い、すべてに美がある。日本人はこれほど美しかったのか。
画面も、尾形光琳の『燕子花図(かきつばたず)』のような風物から始まる。
花鳥風月。灯篭の明かり、窓に覗く積雪、日本家屋、蛇の目傘と雨。風物にも日本の美がある。
詩的、リリシズムともいうべき映画。雄大な自然とは違う侘び寂びめいたもの。ハリウッドにも中国などの大陸映画にもない。邦画にしかない美ではないか? 改めて実感した。しかも、今では失われつつある美意識だ。
現代の邦画で、これほど花鳥風月を意識した画つくりというのは見当たらない。
山中貞雄の『人情紙風船』に似た感覚。
生涯25本の映画を撮りながら、いまでは三本しか現存しない山中映画。
気づかないだけで、山中以外にも多くのものがすでに失われているのだ。
並木鏡太郎監督の本作も、キチンとアーカイブしなくては、もう二度と見られない失われた邦画になってしまう。

生活のために小商いをする樋口一葉は執筆活動から遠ざかる。しかし、店周辺で見た人々の営みに小説の種を見つける。市井に生きる人々の辛苦を目の当たりにして、噂を恐れ一度は逃げた恋に再度目を向ける。だが、時すでに遅かった。
失意の蛇の目傘。泣き伏す見台。
雨にうたれた為か病に伏せる。病床で、恋に生きられなかった想いを作家としての道に託す決意をする。
そこから「奇跡の14ケ月」と文学界で呼ばれる、怒涛の執筆活動が始まるのだ。
本作は、出世作『たけくらべ』を描く直前で終わる。
人力車に揺られる一葉は、乗り込んだ運命を見詰めている。喜びでもなく悲しみでもない決意の表情。一葉が歴史に名を刻んだ奇跡の14ケ月の始まりを予感させて終わるのだが、同時に14ケ月しか続かなかったのは肺結核で早世したためだ。
病床での決意は彼女の華々しい生と死を予言しており、最後の人力車での一葉の表情には、その後の光と影の両面が塗り込められている。
山田五十鈴の凛とした表情が美しい。

この映画が観客から見向きもされなくなった時、また大事なものが失われてしまう。
そんな予感がした。
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