Jeffrey

灰とダイヤモンドのJeffreyのレビュー・感想・評価

灰とダイヤモンド(1957年製作の映画)
4.5
「灰とダイヤモンド」

〜最初に一言、アンジェイ・ワイダ監督の最高傑作の1つで、ポーランド映画史上最も重要な作品と認識された本作は、父親殺し(歳の離れた対照的な2人を見ると)を含めて、運命から逃れられない人物の辿る悲劇と言う、ギリシャ悲劇的な劇構造を描いた"抵抗三部作"の傑作である〜

冒頭、詩を暗唱…教会前に一台の車。寝そべる2組の若者。口笛で合図…そこへ来た地区委員長を銃で暗殺。後に誤って別人の殺害が発覚。‪瓦礫に倒れる青年。慟哭を誘うラスト…本作は第20回ヴェネツィア国際映画祭で上映され、国際映画批評家連盟賞を受賞し、ワイダの「世代」「地下水道」とともに"抵抗三部作"と呼ばれる彼のフィルモグラフィで重要の位置に立つ映画であり、私の最高に好きなアンジェイ・ワイダ監督の集大成かつポーランド映画の傑作。脚本は監督とイェジ・アンジェイェフスキ(原作者)共同執筆し、1958年に映画化された映画で、ドイツ軍が降伏した1945年5月8日のポーランドを舞台に、党県委員会書記のシュチューカの暗殺を依頼されたロンドン亡命政府派の青年が誤って違う人物を殺し翌朝、軍に射殺されるまでの1日を描いた作品である。この度BDにて久々に観たが素晴らしい。日本ではキネマベスト外国語映画第3位に輝いている。

この同名原作の発表当時は、ポーランド文学界に一大センセーションを巻き起こし、題名である「灰とダイヤモンド」は、19世紀ポーランドの詩人、ツィプリアン・カミル・ノルビッド作"舞台裏にて"の次のー節からとられた。松明のごと、なれの身より花火の飛び散る時、なれ知らずや、我が身を焦がしつつ自由の身となれるを。持てるものは失われるべきさだめにあるを。残るはただ灰とあらしのごと深淵に落ち行く昏迷のみなるを。永遠の勝利のあかつきに、灰の底ふかく、さんぜんたるダイヤモンドの残らんことを………からである。やはり監督のワイダは、第二次大戦中から戦後にかけての大きな社会変動を身をもって体験した分、自らと同世代の若者たちが混乱する世相をいかに生き抜いてきたかを、長編劇映画の第一作である「世代」第2作の「地下水道」とこの「灰とダイヤモンド」の抵抗三部作の中に描いたんだろう。


さて、物語は第二次世界大戦が終結した、1945年5月8日。ポーランドの地方都市。教会の前で、2人の若者マチェクととアンジェイが寝そべっている。マチェクが待ち伏せしている人物の名を尋ねると、アンジェイはその人物はシチュカと言う名の県労働党書記だと答える。見張りのドレヴノフスキが、口笛を吹いて合図する。1台の車が協会の方へ近づいてくるのが見える。アンジェイは少女にこの場から立ち去るよう促し、マチェクに呼びかけて待ち構えていた車が来たことを教える。アンジェイとマチェクは銃を構え、教会の前を走り抜けようとする車を銃撃。2人の男が乗った車はバランスを失い、そのうち1人が振り落とされる。止まった車に乗っている男を射殺したアンジェイとマチェクは、続いて振り落とされたほうの男を追って教会前で射殺する。

銃撃現場近くに、先ほど射殺された男2人の死体が並べて横たえられている。労働者党の地区新書記としてこの地方都市に赴任したシュチューカと公安部隊将校のポドグルスキが現場に到着する。殺されたのは、セメント工場評議会の中年男スモラルスキと、同じ工場の若者ガブリク。2人はナチの強制労働から戻って1週間しか経っていなかった。彼らの工員仲間も現場に集まってくる。シュチューカは、2人は自分と誤認されて殺されたのだろう、と口にする。工員の1人がシュチューカの傍へと来る。仲間の中には親族を殺されたものもおり、不穏な情勢が続くことに不満を覚えていたこの工員は、いつ平和な世の中になるのか、2人を手にかけた下手人は誰なのか、とシュチューカにたずねる。彼は、終戦は戦いの終わりではない。

祖国のための戦い、明日の戦いは始まったばかりだ。我々はいつ殺されるか分からないと答える…と簡単に説明するとこんな感じで、ドイツ軍降伏後のポーランドが、ソ連の支援する労働等に統治されるのを、ロンドン亡命政府は阻止しようとしていた。ロンドンの指令を受けた青年マチェクは、地区委員長暗殺を実行するが、誤って別の人を殺害してしまう…。複雑な戦後のポーランド情勢の中で苦悩し、虫けらのように殺される若者の哀切を描くワイダ監督の第3作で(抵抗三部作)の傑作である。悩める暗殺者青年を演じたツィブルスキは、ポーランドのジェームズ・ディーンと言われたが、本作品の9年後、39歳の若さで事故死した。本作は、1945年5月8日に始まり同月9日に終わる、24時間足らずの出来事を描いている。

劇中でも言及されるように、ドイツが無条件降伏文章に署名し第二次大戦が終焉を迎えたのがこの日である。この日に至るまでにポーランドがたどった過程を、簡単に話していきたいと思う。それ以前の約5年間、ポーランドはナチスドイツの占領下にあった。国内は親ソ的共産主義者(人民軍)と愛国的反共主義者(国内軍)に大きく2分されていたが、両者には共通の敵(ナチ)がいた。しかし1944年8月1日から開始されたワルシャワ蜂起の敗北後、国内軍は下部組織が共産党系の人民軍に吸収されるのを恐れて、1945年1月に解散を命じる。本作のアンジェイとマチェクは、国内軍の残党で解散後は地方の森を拠点としてソ連軍やポーランド統一労働者党に対するゲリラ活動に勤しんでいたグループ(いわゆる森の人)の1つである。

1945年2月のヤルタ会談の時点で、ポーランド全土はソ連軍とその指揮下にあるポーランド軍に制圧されていた。戦前はドイツ国内に移り、1944年4月22日にはソ連軍戦車がベルリン市街に突入し、5月8日のドイツ降伏へと至る。戦後、共産党系のポーランド労働者党がポーランド国内の覇権を握ると、国内軍に属していたいくつかのゲリラ兵グループは共産主義政権樹立を阻止しようとし、ポーランド国内はー種の内戦状態となった。彼らのゲリラ闘争は、ポーランド労働者党が社会党と合同し、ポーランド統一労働者党と改称した1948年春まで続いたそうだ。今のような歴史的転換期を舞台として語られる映画「灰とダイヤモンド」のストーリーは、2人の対象的な人物によって牽引されていく。

ポーランド労働者党書記シュチューカと、国内軍系ゲリラ兵のマチェクである。前者は思慮深く疲れた様子の、共産主義路線確立の信念を持つ中年男。後者は暴力に訴える以外に事態の解決を測れない(後にそのことに苦悩することになるが)、生命力にあふれた単純で落ち着きがなく愛国主義的な若者になっている。世代的にも差があり、互いに対立する組織に属しているにもかかわらず、この2人には共通点もいくつかある。2人とも、祖国を解放するために、ナチスと勇敢に戦った過去を持つからである。シュチューカはスペイン内戦でファシストと戦って負傷した後、第二次大戦でソ連軍に参加した。一方、マチェクはワルシャワ蜂起に参加した(劇中彼は、ワイダの前作「地下水道」でも描かれた、下水道を通って地区から地区へと移動した経験があるとほのめかす)。

そして両者ともに、かつて戦った頃よき時代として思い出し、戦いで生命を落とした仲間たちに愛借の念を抱いている。そのため、シュチューカとマチェクは互いに代理的父子関係にあるかのようにも見えるとされる。シュチューカには長年会っていない17歳になる一人息子マレクがいるが、反共的な愛国主義者の義姉の家で育てられた彼は、マチェクによく似た国内軍系列のゲリラ兵グループの一員となっている。また、マチェクは(相手の生命を狙っているとは言え)ホテルでシュチューカの隣の部屋に滞在し、ホテル内で2度シュチューカに煙草の火を貸す。そして、保安隊に捕まった息子マレクに会いに行く途中でシュチューカはマチェクに射殺され、この顔見知りの若者の腕の中で生き返る。そしてマチェクは、自らが生命を奪ったこの代理父同様、最後に射殺され生き絶えるのである。

こうした展開(父親殺し)も含めて、本作に運命から逃れられていない人物の辿る悲劇と言う、ギリシャ悲劇的な劇構造を読み取る人物たちも多くいたそうだ。どうやら完成作は、批評家にも一般の観客にも好意的に受け入れられたと言う。ただし、ポーランド統一労働党(共産主義政党)政府と当局公認の批評家からは冷遇されたらしい。彼らは、映画「灰とダイヤモンド」が反共主義者の暗殺者マチェクを正当化していると批判した、とのこと。マチェクは魅力的で観客の共感を得るような人物として描かれているが、その任務を正当化する事はできない、と言うのだった。そのため当初、ポーランド当局は本作の国外公開を望んでいなかったと言われる。しかしベネチア国際映画祭で目立たない形ながら上映されて国際評価連盟賞を獲得したのをきっかけに、やがて戦後ポーランド映画のみならず、ポーランド映画史上最も重要な作品と認識されるに至ったのだ。



いゃ〜、久々に見たけどやはり傑作だ。第二次世界大戦直後、混乱のワルシャワを背景に、暗殺者として生き抜くこうとし、はかなく散った一青年を通して、混迷の世相に、もろくも灰のごとく崩れ去るものと、ダイヤモンドにも似た輝きを放って前進を続けるものとの相剋を描きながら、その中で苦悩する若い世代の純粋な魂の慄えを、鮮烈に浮き彫りにした傑作である。冒頭のシーンで誤って殺してしまう人間の背中が燃えるシーンがあるんだけど、拳銃で撃つとあんな風に燃えるんだろうかと思いつつ凄い迫力があった。それとイエス・キリストの人形が逆さ吊りにされて、とげとげがくっついているシーンで男女が話す場面は強烈なインパクトがある。確かクライテリオンから発売されるBDのジャケットがそれになっていた。

そして、クライマックスのゴミ溜めの中〇〇していくのがこの映画の全てを語るかのように青年の虫けら感を非常に出していて印象的に残るというか要因がある終わり方だ。この作品のタイトルは、ポーランドの詩人、劇作家、画家、彫刻家であるツィプリアンプ・カミル・ノルヴィットの詩からとられている。劇中、バーの給仕を求める娘クリスティーナが、廃墟となった協会の墓碑として描書かれたノルヴィットの以外の詩を読み上げ、彼女に続いて主人公もチェックが同詩を暗唱する場面も印象的だろう。"松明の事、なれの身より花火の飛び散る時、なれ知らずや、我が身を焦がしつつ自由の身となれるを、持てるものは失われるべきさだめにあるを、残るはただ灰と、嵐のごと深遠に落ちゆく混迷のみなるん永遠の勝利の暁に、灰の底深くさんぜんたるダイヤモンドの残らんことを…"これが象徴的である。

本作は、ポーランドが1956年にいわゆる雪解け(自由化)を迎えた後、その余波の中で制作された。1958年までは、ワイダを含むポーランド人監督が新生ポーランドの対抗勢力(国内軍等)を悲劇的な犠牲者として描く事は不可能だったと言う。1949年から53年までポーランドで続いたスターリン主義期には、ソ連の文化モデルの強制導入のほか、実際に国内軍兵士の逮捕、拷問等が同国で行われていた。雪解け以後ポーランド映画界は、制限付きではあったがようやくソ連型社会主義リアリズムから解放され、詩的暗喩表現と政治的ほのめかしに満ちたポーランド特有の表現に回帰することが許されるようになったとのことだ。脚本執筆するにあたって、ワイダとアンジェイフスキは原作が語る1945年5月5日から5月8日の4日間にわたる物語を、約24時間に圧縮していくつかの挿話を消去し、舞台をホテル1カ所とその周辺にほぼ集約したそうだ。

実際に映画で使われているのは、ほぼ原作の後半部分である。同時に何人かの登場人物も消去して(例えば、小説では前半部の主人公と呼んで良いほど、その来歴や生活が詳細に書き込まれるコセーツキ判事)、新たな人物を付け加え(例えばシュチューカの息子マレク)、いくつかの場面を新たに考案したそうだ。
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