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ツリー・オブ・ライフのyのレビュー・感想・評価

ツリー・オブ・ライフ(2011年製作の映画)
2.8
初めて見てみる映画だと思っていた。
はずが、最後のシーンを見て、2回目だと気がついた。

信仰心のあるキリスト教徒にはブラボーな映画であって感動するんでしょう。

神が宇宙(世界)を作ったところまで話が及ぶ。
神が全てをつくった。大地も生命も。
(宇宙や生命の神秘さや命については考えるので、神は別として自然の現象は不思議な世界で、この辺はまだ神業と言えばそうだと思うので受け入れられるのです)

人の思考と御心の絡みにも及び
人は2つの生き方があり、恩寵に生きる(蔑まれても)か世俗に生きるか(人っを支配しようとする)、妻は恩寵に生き、夫は(教会に足を運ぶも形上的。頭の中は世の中どう生きて力を付けるか)世俗に生きる。

神に触れたのはいつか?と長男。
光は見えない神の象徴、あちこちにあふれている。自分が望めば光(御心)のもとに。
光を通している服をまとう母、アメリカの有名なケーブの光
反射したり、植物に降り注ぐ光と一緒に神を感じさせる。


恩寵の母と世俗の父の間で混乱する長男。
でも、少年期には世俗系になっている長男。
良くないことをして涙ぐみ、どうしてと。その時は景色は分厚い曇り空。神の光が少ない。

一方、次男は光を手ですかしてみたり、音楽を楽しみ、長男も受け入れる恩寵的な子供。

次男が亡くなり、世俗に生きた父や長男は後悔をし、次男を毎日考え
恩寵に近づいていく。
長男は光あふれるエレベーターで上に行き、次男は神の不在では無く、神の元に。
エレベーターで降りた長男は、微笑む。世俗的なガラス張りのビルから青空と風、NYの人が作った橋と川と鳥。

細胞は海岸の岸に寄せ付けできる泡に閉じ込められた環境で誕生したと考えられている。泡も生命誕生を感じさせる。

暗闇に浮かぶ不思議な形の明るいものは神でしょうか。

授けるのも奪うのも御心と、御心のままに。

信者ならよくできた映画だ、となるかもしれない。
けれど・・・・

キリスト教徒で無ければ
何事も御心と片付けるのが美徳のように言っているのは都合がいい。(教会の説教にもあった)理不尽な死も貧しさも御心と言い、洗脳されてしまえば信者は素直に受け入れる。
戦争による死は欲望のもののせいだし、庶民が飢えようが王は贅沢三昧する場合の飢えも御心では無い。庶民は苦しいだろうけど御心と考えろとしてきたのは支配者には都合がいい。

宗教は、権力者が使うにはいいもの。
同じような思考、都合のいい考えを信者に植え付けられるのだから。
王などの支配者は神(教会)に指名させ(=戴冠式)、神のご意志である王の権限に民は従わされる。

この映画から話がそれてしまった。

とても宗教的な話。
映像が綺麗。音楽も映像も神を表現する映画だから相応しく。

余談
ブラピの躾のシーンで、アンジーが起こした調停だか起訴だか忘れたけど、彼女の主張していた父親像と重なってしまった(制作当時は問題が無かった)。アンジーの主張は??ですけど・・・。
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