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家族の肖像のkamakurahのレビュー・感想・評価

家族の肖像(1974年製作の映画)
5.0
10年前に映画のレビューを開始した時から、あなたのベスト1は問われた場合には『家族の肖像』と応えている。岩波ホールで先月から上映が始まったデジタル完全修復版を観ながら、自分にとって何故本作が重い存在であるのかを改めていろいろなシーンで確認することができた。
まずは展開。2時間5分という尺の物語として実によくできている(しかも、ヘルムート・バーガー扮するコンラッド個人の物語は個人的にきわめて深刻なものでもあるのだが、ネタバレになるので詳述割愛)。次にセット、美術の典雅にして堅牢なたたずまい。そして、ごく限られた登場人物たちによって醸し出されるリアリティ。作品によく寄り添った音楽。古典派のクラシックと現代ポップスの絶妙なバランス配合、等々、キリがない。
これら一般的に言われているだろう諸要素に加えて、個人的嗜好とのマッチが極めて大きい。
そもそもからしてバート・ランカスターの老教授という設定がツボ。チップス先生、ヒギンズ教授、理屈抜きにそうした存在がみんな好き。豪奢な書斎も◯ ヒギンズ教授の書斎と並ぶ個人的な二大憧れ空間。現実にはついに遠く及ばない、どころか、比較の対象にすらならない小さな6畳ほどの洋間にしか辿り着けなかったが、中学生の頃に自我を芽生えさせて以降、ずっと憧憬の場で、そうしたベクトルが内的に動くという点で、ただ観ているだけで陶然とする。この気分が大事。ベッドでの読書と、そのまま息絶えていく様相もよし。その時を是非、この老教授のように迎えたい。この同期も重要。中学生の頃から早熟・老成してたんだなと、今更ながらの再認識、それも嬉しい。事実として老年に至って観直したことで、きっと若い頃には十分には理解できていなかったはずの老境を描き出したシーンにも深く共振して、このたび、あらためて自身のベスト1であることの間違いでなかったことを深いところで納得したことだった、ということで本作に満点。そして、これがぼくの映画評価点の基準。
いま傾倒している作家、保坂和志との最初の出会いが氏の『カンバセイション・ピース』だった、ということにも繋がっているような気がしてならない。
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