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家族の肖像の小のレビュー・感想・評価

家族の肖像(1974年製作の映画)
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イタリアの巨匠ルキノ・ビスコンティ後期の傑作とも言われる作品。傑作、名作は高確率で寝落ちしてしまうのですが、これも例外ではなく…、スミマセン。点数はナシで。以下、底の浅い妄想的感想を。

撮影はすべてスタジオセット内、主要な登場人物は5人。病で倒れたヴィスコンティ監督が車椅子を操り撮りあげた本作は日本初公開の1978年当時大ヒットし、ビスコンティブームに火をつけたとか。

ローマの高級住宅で、絵画「家族の肖像」に囲まれ静かに暮らす老教授。ある日、伯爵夫人とその愛人、伯爵夫人の娘とそのフィアンセがやってきて、階上の部屋を強引に借りてしまう。

そして教授の迷惑も顧みず、やりたい放題。勝手に改装を始めたり、ドタバタと騒いだり、大きな音で音楽を鳴らしたり、ディナーの約束をすっぽかしたり。

そんな中、伯爵夫人の愛人の美青年に感心するような教養が垣間見え、彼らへの慣れと愛着もあってか、教授は次第に心を開いていくが…。

この映画本来のテーマではないかもしれないけれど、私が思ったのは、孤独な老教授が「家族」というものに目覚める物語ではないかと。

内田樹先生は<そもそも結婚は、幸せになるためにしているのではありません。夫婦という最小の社会組織を通じた「リスクヘッジ」であり、安全保障の仕組みなのです>と言っているけれど、夫婦を家族と置き換えても大差はないだろう。

そして、そのリスクヘッジ、安全保障のコストが、相手のワガママ聞く、迷惑を許容する、というようなことではないのだろうか。

アカの他人であればとても無礼なことでも家族ならば許される。許す側からすれば、家族は「自己実現の妨害者」なのかもしれないけれど、一方で家族がいれば孤独に陥らずにすむし、病気や失業など窮地を乗り越えるためにはとても頼りになる存在でもある。

老教授の場合は、とても無礼な伯爵夫人一家が、孤独の癒しになることに心が傾いていって、家族っていいじゃん、皆、家族になろうよと思うけど…。

セットや衣装なども観どころだったようだけれど、記憶が…。そろそろ何でもがっついて観るのはやめて、ひとつずつじっくり観なけばという気がしているのだけれど、できるかな?
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