Masato

おいしいコーヒーの真実のMasatoのレビュー・感想・評価

おいしいコーヒーの真実(2006年製作の映画)
3.5

講義にて

私たちが日々目にするコーヒーの裏側を取引の流れとともに暴く。世界にコーヒーとして売り出す企業たちは儲かり、生産者のアフリカ(ここではエチオピア)人たちは貧困にあえいでいる。

先進国の企業がフェアトレードをするだけという簡単なことなのだが、それをスターバックスを筆頭とする企業がしないせいで、金銭のねじれが生み出され、末端にいる生産者が苦しむことになる。安く仕入れ、高く売る。利益率をあげて収益を増やす。彼らはビジネスをしているだけだ。それには異論がない。だが、多様化した市場において、「ビジネスをしているだけだ」は言い訳になる。様々な地域・文化・経済格差…多様化しているからこそ、フェアに動かなければならない。国際企業のあるべき姿・社会的責任を考えさせられる。

この出来事に関して、スターバックスらの企業は取材を断った。断るということは、彼らも生産者の現状を知っているということだから、明らかに糾弾を避けたとしか言いようがない。我らだけが儲かればよく、末端の人間なんか気にしていられるわけがない。まさに大企業らしい立ち振る舞いだ。こんなに恣意的なのはリーマンを思い出す。貧乏者の住宅ローンがデフォルトになることなんか気にしない。我らが儲かるための使い捨てみたいな扱い方。こうして、お金に困らない人間たちは、貧困層の人間を「消耗品」として排除する。日本の労働環境も同じだ。世界中どこでもフェアじゃない。独立精神強めなアメリカ人って感じがする。保険は共産主義だと批判する奴ららしい行動。

この映画は気取った奴が「うぅ〜ん、美味しい。最高だ」と言っているシーンと、エチオピアの人が「少しだけでも良い。賃金をあげてくれ。家族のために自立させてくれ」と嘆いているシーンを交互に写すのだ。気取った白人が心底ムカついてしょうがない。エチオピアの人は金をたんまりくれとは言ってない。子どもを通学させて病院に行かせられるくらいに、自立をさせてくれと言っている。全くもって贅沢ではないのだ。

結局どんな商品も「相殺」なんだと気づく。安ければ安いほど、誰かが苦しむ。誰かが満足するほど、誰かが苦しむ。「ビジネス」という言葉だけでは片付けられない、人間の倫理観を問いかけられるかなり難しい作品。

余談、先生がめちゃくちゃ感情論で喋ってくるから困惑した。納得はするけど…。
「観た後でもスターバックスのコーヒーは飲めますか?」という質問に「飲めるけど、進んで飲もうとしない」と書いた。レビュー書いて整理ついてからは、はっきり「飲めない」と書くかなあ。取材を断ったという時点で信用ならないわスターバックス。
コーヒーなんて飲まないけど、飲むときはフェアトレードラベルのやつを飲むとしよう。
Masato

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