教授

誘惑の教授のレビュー・感想・評価

誘惑(1948年製作の映画)
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まず。
新藤兼人による脚本は、とてもつまらない。当時風の言い方をすれば「メロドラマ」であり、今時の(質の低い方の)「キラキラ映画」と本質的には何も変わらない。
恋に落ちる相手が妻子持ちの「オジサン」であるということも含めて、作り手側も、想像の範囲でしか語れないが「大衆」も、基本的には求めているものが、当時も現在もさほど変わらず、構造として「オッサン中心」社会の匂いがプンプンする。

冒頭は結構ダラダラしている。
ただメソメソしていたり、テキパキ働いていたりととにかく忙しい原節子の演技でかなり画面は楽しめる。
旅館で一緒に泊まることになり、よりにもよって布団がひとつしかなく「困ったなぁ…」とか言いながら添い寝する冒頭も、ちゃんとハラハラしたり、佐分利信のいつも困惑した顔芸との掛け合いだけで充分楽しい。「背が高い」とイジられる件は吹き出した。

中盤以降の展開は特に怒涛の編集で異常にテンポアップする。
男の子を風呂に入れ、女の子の靴下を探し、料理をしながら、ミシンをかける。
単にそれだけの動作を畳み掛けることでとにかく映画が動き始める。

鎌倉のサナトリウムでの、佐分利信と杉村春子のやりとりは、とにかくおぞましく、若く健康的な原節子を見ながら、結核で心身ともに疲弊し「夫が奪われる」=「女性としての死」を噛み締める杉村春子の視線だけの、表情だけの演技がとにかく怖い。

確かにストーリーは「薄いなぁ」と時折思えど、吉村公三郎監督の、画面づくりと、異常な編集テンポで面白く観られる映画の不思議を感じる。
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