netfilms

太陽を盗んだ男のnetfilmsのレビュー・感想・評価

太陽を盗んだ男(1979年製作の映画)
4.2
 中学の物理教師の城戸誠(沢田研二)は冴えない男で、生徒にはただただ馬鹿にされている。授業中に居眠りしたかと思えば、登校時には生徒たちと一緒に学校に入る。そんな男の生活を一変させたのは、あのバスジャック事件だった。明らかに長崎バスジャック事件を想起させる事件で城戸は、山下警部(菅原文太)と出会い命を救われる。皇居に侵入しようとした犯人(伊藤雄之助)の凶行から自身の命を顧みず、国家の治安を守った山下の姿に城戸は男の姿に畏怖の念を持つのだ。その後部屋で原爆まで作ってしまう大それたことをするテロリストは自身と国家との仲介役に山下を指名する。物理教師がプルトニウムから原爆を生成する過程はまさに命懸けだ。防護服で防護カーテンで厳重に仕切られた空間に入り男は日々、プルトニウム爆弾を生成しようとするのだが、被曝すると共に徐々に長髪だった髪の毛は抜けて行く。城戸誠は原爆を作りあげ国家を脅迫する孤独な夢想家であり、心寂しきテロリストだ。ところが第一の脅迫「テレビのナイターを最後まで放映しろ」を実行させる辺りから雲行きが怪しくなる。映画は遅れて来たアメリカン・ニュー・シネマの様相を呈す。劇画タッチの演出は今観ても凄まじく、当時は歌謡界の押しも押されぬトップ・スターでありながら、虚無を背負いし沢田研二の寂しき病巣も暴発の瞬間を静かに待つかのようで、ひたすら不気味だ。

 然しながら城戸誠には「テレビのナイターを最後まで放映させる」以上の欲望がいつまで経っても出て来ないのだ。それは同時に今作の監督で脚本も手掛けた長谷川和彦の創作上の限界でもある。中盤の沢井零子(池上季実子)のラジオにリスナーから寄せられた幾つもの政府へのリクエストの声は、当時助監督だった相米慎二や撮影助手だった黒沢清らに世間の声を拾わせた結果だが、それでも長谷川和彦は城戸の欲望に大それた理由を見つけられない。中盤から徐々に山下警部を筆頭とする国家権力のプレッシャーが主人公に迫り、城戸は苦し紛れに二の矢三の矢を繰り出すのだが、中盤以降はコインの面裏のような城戸と山下の決闘に繋がるものの、やや焦点が絞り切れなかった印象は拭えない。荒唐無稽なターザンの動きから鼠小僧のようなダーク・ヒーローとなる城戸の姿。そしてヘリコプターにしがみつきながら、所在なさげに空中を漂う山下の頼り無さげな動き。クライマックスの死なない菅原文太の動きは今なお語り草で、結末も果たしてあれで良かったのかどうかはわからない。だがこの頃の長谷川和彦は確かにあと数年もしたら、途方も無い傑作を撮ってしまう様な予感が確かにあった。被爆者二世の心の叫びのような映画はあらためて原爆の怖さを内外に知らしめた。時代の転換点に位置する忘れ様にも忘れられない日本映画の傑作である。
netfilms

netfilms