(別媒体から感想を転記)
2024/02/12
候孝賢『恋恋風塵』『戯夢人生』の脚本で知られる呉念眞の監督作。「多桑」は日本語の「父さん」の発音に当てた台湾語で、そのまま「父さん」という意味。本作は、日本に憧れ続けながら来訪叶わず珪肺で亡くなった皇民化世代の「多桑」を回顧する呉念眞の自伝的作品。
「多桑」はNHKのラジオを流し、日本製品のつくりのよさを褒め、死ぬ前に皇居と富士山を見たいと言う。「多桑」という言葉が当たり前に使われているほかにも、地元の人たちが足を運ぶ映画館では弁士による吹替つきの日本映画が上映されているなど、日本という存在はそこかしこに見てとれる。
「多桑」は日本語と台湾語を話し、特に語気を強める際は日本語になるが、北京語は少しだけ聞き取れる程度だ。一方で孫世代では北京語が広く話されており、この言語の差異が世代間の隔絶と家族間の隔絶を浮かび上がらせる。この隔絶は亡くなる間際の病室で「多桑」の孤独を決定づけてしまう。
呉念眞の語り口はあくまで淡々としていて、「多桑」に批判も同調も押し出さない。日本を称揚して生きた「多桑」の姿はどうしたって失われた自国の歴史であり、失われた自国の世代であるけれども、同時に確かな父であり確かな故郷なのだ。呉念眞が脚本を書いた『恋恋風塵』のラストシーンのように。