つかれぐま

天国と地獄のつかれぐまのレビュー・感想・評価

天国と地獄(1963年製作の映画)
-
黒澤・三船・仲代、最後の揃い踏み。

一代で富を築いた権堂の息子が誘拐される。しかしその子供はお抱え運転手の息子だった。それでも犯人は巨額の身代金を要求する・・。

壮絶な緊張感。
映画は開始50分の間、主人公の権藤邸を一歩も出ない。音楽もない。それなのになんだろう、この面白さは。固唾を飲むとは正にこのこと。多くの人間ドラマが詰まった濃密な50分だが、一番唸らされるのは、権堂のキャラクターに黒澤明自身の生き様が見事に投影されていることだ。会社重役連とのやり取りは、そのまま当時の東宝経営陣であり、権堂が本当に作りたい最高の靴は、黒澤作品そのもの。腹を決めた権堂が、胡坐をかいてカバンを改造する姿に、猛者ぞろいの刑事たちも思わず立ち上がる。

続く「特急こだま」一発撮り。
CGのない時代。だからこそ生まれた一発撮りの緊張感が画面から伝わる。追い込まれた権堂と刑事たちの修羅場を描くのに、これほど相応しい撮影現場はなかっただろう。権藤邸50分間の「静」から「動」に転じるダイナミズムは、これぞ映画という凄さ。

後半の主役は戸倉警部だ。
彼もまた黒澤明の正義と怒りを体現するキャラクター。黒澤+三船+仲代の揃い踏みはこれが三本目。過去2作の対峙を経て、本作で遂に共闘するのだが、この後半は「黒澤世界におけるヒーローの交代」に思えた。全てを失いリセットされた権堂に代わって、ギラギラとしていく戸倉。物議を呼んだ彼の捜査方針も含めて「シン・クロサワ」になった戸倉=仲代達矢が最高にかっこいい。

まとめると、本作は
❶最高の娯楽作品であると同時に、
❷黒澤自身の投影と信念表明でもあり、
❸三船敏郎から仲代達矢へのバトン
という三重の意味が込められた、日本映画の金字塔。

以下蛇足。
公開当時、戸倉警部の捜査方針をめぐり反発もあったと聞く。ふだん映画など見ないお堅い方々がそれを言うならわかるが、映画でメシを喰っている評論家連中までが。それを口実に「弱者へのいたわりがない」「体制寄りだ」等の黒澤イズム批判を展開したらしいが、これには呆れるしかない。本作が作られたのは、東京五輪の直前だ。都市開発がいわば国策だった時代にも関わらず、本作が映すのは、冒頭から工場が吐き出す煤煙。汚い河川、貧民窟と「開発」が産んだの負の要素が続く、これは正に国策への無言の批判に他ならない。

某有名評論家M氏の(独自レトリックを駆使した)本作批判には、どうか耳を貸さないでいただきたい。彼は映画よりも、自分の「政治的」理念が大切な輩なので、それに反するものはどんなに素晴らしい作品でも腐す(本質と離れた所で)。頭の良い方なので、説得力がある(ように聞こえてしまう)のが厄介だ。