ミサホ

天国と地獄のミサホのレビュー・感想・評価

天国と地獄(1963年製作の映画)
4.2
黒澤明監督の作品はこれが初めて。
先日、『七人の侍』『生きる』『蜘蛛巣城』『乱』を本作と一緒に購入したが、私が特に興味があったのが本作だ。

で、観てみた。

この時代にこれほど重層的で極上のサスペンスが存在していたことに驚く。タイトルの『天国と地獄』とはよく言ったものです。

ひとつの画角にその場にいる人物を入れて、シーンごとの彼等の心の揺れや思惑、反応が見て取れる。そこが秀逸だなぁと思った。

黒澤監督の作品はこれが初めてなので、分からないが、これは監督の手法のひとつなのだろうか。

貧富の格差を皮肉った作品ではあるのだろうけど、幸せに見える人物が実はそうではなかったり、将来は約束されたものなのに裏の顔は捻くれていたりする。

天国と地獄…それは個人の捉え方によってどっちにも転ぶのだ。他人には不幸に見えても、自分が天国と思えばそれは天国なのだ!(知らんけど)

また、身代金のやりとりの部分、鞄の厚みの指定だったり、細かい指示は、犯人の頭脳の明晰さや周到さが表れている。

そして後半の、捜査の過程から犯人逮捕までの描写。これが細かくてとても面白かった。街に捜査員を散らして、彼等が代わる代わる犯人の尾行に付く描写は、『フレンチコネクション』さながらのスリリングさだった。

本作の方が複数人だったからよりスリリングだった。いや、スリリリリリングだった。

ちょいちょいユーモアもあって、その辺りのセンスにも脱帽した。街中で犯人を尾行中、犯人が唐突に花屋に入るが、容姿的にそこに付ける捜査員がいない。その時の、無理やな…というちょっとした間が面白かった。

ゴミの浮いた川の側に立つバラックのような貧民街と高台に立つ豪邸との対比は、ポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』を思い出す。

また、本人の思惑に反して、メディアで担ぎ上げられるところなんかはアスガー・ファルハディ監督の『英雄の証明』に繋がるのではないか。

警察が仕込むトリックが桃色の煙となる場面では、そのトリックの効果と視聴者への視覚的な効果が捜査の進展と犯人逮捕への明確な道筋を表すものとして、今見ても斬新なものに映る。

とても満足度の高い作品であった。
本作の主人公権藤は、壊れにくく、顧客満足度の高い靴👠を提供したいという職人気質のビジネスマンであった。本作の権藤は、いわば黒澤監督で長く愛される、古くならない作品を作る黒澤監督自身を映し出す人物像であったのだろう。






でもね、私が買ったDVDの裏に書かれたあらすじの名前…権藤ではなく、“権堂”になっている!誤植もまた良し。(レアという意味でね)
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