140字プロレス鶴見辰吾ジラ

天国と地獄の140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

天国と地獄(1963年製作の映画)
4.4
“恐怖”

フィルマークスの皆様
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

新年1本目は名作・傑作を見たい!
最初は「正月のナパームは格別だ。」
と言いたいがために
「地獄の黙示録」を見ようと思いましたが
黒澤明監督の「天国と地獄」
これで2019年の映画初めとしたいと思います。

いや、本当に恐ろしい。
息が詰まるような緊迫感が恐ろしい。
ある日突然日常が侵食されることが恐ろしい。
人の欲望が恐ろしい。
警察の捜査が一線を越えることが恐ろしい。
貧民街の得体の知れなさが恐ろしい。

見ているこっちまで緊張する。
見ているこっちまで捜査にのめり込む。
見ているこっちまで不安で震える。

本作がもたらす恐怖は2つあると思います。
まずは前半の誘拐事件の恐怖。
迫られる選択と、生活と命の重さの天秤。
ある日突然、日常生活が破壊され、それが人生を賭けた大勝負の最中というのだから、あらゆることが頭を駆け巡って袋小路。良心か?それとも実行か?犯人の顔も分からぬまま、宛てのない行方と時間の進行に怯え、なおかつ高台の家は犯人から見張られている。高台にいながら丸裸にされ、正体不明の狂気と向き合う主人公宅のシーンは、長回しで撮影されたことによる役者陣の緊迫感をもろに観客側も喰らうわけになります。そして前半のクライマックスに用意される身代金受け渡しシーン。やっと閉鎖空間から出たと思えば、物凄いスピード感と臨場感+緊迫感。これほどまでに息を飲む身代金引き渡しシーンはもはや存在しないのでは?と思わせる撮影と演出の妙にこちらも手に汗握ること間違いありません。本当にとんでもないシーンです。

ここで作品のテンションは最高潮に達して、そこから失速したように見えるテンポ感になるのですが、後半からも付きまとう2つ目の恐怖が始まります。アフターマスと言うべきか、捜査を緻密に描きつつ、人の暗部にズカズカと足を踏み入れていきます。捜査会議のシーンのリアルな質感は、「七人の侍」であった作戦会議シーンや、相手の野武士のボディカウントを数えるシーンと同じく、1つ1つに意味があるか?ないか?その情報は有益か?無益か?と観客側も身を乗り出して聞いてしまいます。そこから箍が外れていく警察側の犯人を憎らしく思う気持ちから繰り出される、法を越えた捜査戦略とマスコミを利用した作戦の進行。同時に人の暗部と本作の暗部を背負った犯人の動機のはっきりせぬ得体の知れなさ。これだけ大仰なことをするのだから雇われ者かと思ってしまいますが、それが天国を見上げて憎悪した地獄側の人間の単純かつ複雑な所業と判明していく流れを、当時の雑多な経済成長に彩られ、汚染された街の光と影・天国と地獄の光景を見せつけられながら、まだか?まだか?と焦らせながらクライマックスへとズブズブ迷いこまされていくのだから、もう後半戦は消耗戦、これがしんどい。

すべての決着に向けて動き出してからの緊張感と、終わりの見えない焦燥感と得体のしれない貧民街の人間の業の深刻さを見せつけられながら、対面で会話するラストシーンと残された余韻は正直言って、どこに感情の放出点をもっていけばいいか分からず、ただ唖然…。

そして経済成長にて膨れ上がった日本全体の成長痛を天国と地獄という両極端の側にいる人間に背負わせて、そして「終」という文字に相応しくないエンディングを叩きつけられてしまったら、私らはどんなふうに思えばいいんだろうか?乗客に日本人がいたかどうかの問題ではなく、悶々とした気持ちで明日を待つハメになってしまった…どうしてくれる。黒澤明恐るべし、正月から悶々と傑作を前にオーバードーズして沈む私であります。