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EUREKA ユリイカのnetfilmsのレビュー・感想・評価

EUREKA ユリイカ(2000年製作の映画)
4.5
 兄と妹はその日もいつもと同じようにバスに飛び乗った。最後尾の座席に腰掛け、ふと横に目をやると母が笑顔で手を振っている。その様子を見もせずに兄は黙ってAKIRAの大判本に目をやるのだ。仲良しの兄妹のいつものような毎日。あの日その穏やかな日常は一変し、あのバスに乗っていた全ての人の運命を変えてしまう。福岡県のある地方都市で起きたバスジャック事件は、事件の当事者たちの運命を捻じ曲げて行く。犯人(利重剛 )がふと呟いた「人生に疲れた。別の誰かの人生を生きたかった」という言葉が運転手の沢井真(役所広司)にはトラウマ的に耳にこびりついて離れない。中学生の直樹(宮崎将)と小学生の梢(宮崎あおい)は田舎独特の誹謗中傷に家族ごと苦しみ、犯人の薄ら笑いの残像だけが記憶の中に刻まれてしまう。それから2年後、3人の人生は大きく流転していた。兄妹の父親は死に、母親は別の男を作り2人を置いて家を飛び出した。逆に苦しみ悩みぬいた沢井はどうして良いのかわからぬまま静かに蒸発し、兄夫婦の元を頼り戻って来た。しかし言われなき中傷の渦からは逃れられない。そこから3人の奇妙な共同生活が始まるのだ。ところが時を同じくして、町では若い女性を狙った連続通り魔殺人事件が発生。疑いの目を向けられた沢井は小さなバスを手に入れると、直樹たちと人生をやり直す旅に出る。

 あの日あの時、退屈な日常が続いていればと沢井は自問自答する。バスの運転手をほどなく辞め、愛する弓子(国生さゆり)に何も告げぬまま黙って蒸発した男を何年も辛抱強く待つような女はいない。人生はプラン通りには行かないがそれにしても運命は残酷で容赦ない。あの時の銃声の恐怖と犯人のか細い声が退屈な男の人生に何やら語り掛けて来る。男は直樹と梢の父親になりたかったのではない。ここではないどこかへと逃げ出したかったのだ。林を切り開き、そこら中に土砂がたまる福岡の田舎町には場違いなペンションのようなその家は、秋彦がいたとてだだっ広く、世間の目から隠れて暮らすには十分な場所だがずっとこんなところにいるわけにはいかない。秋彦が言うように沢井のバス購入の判断は身勝手かもしれない。だが年端の行かぬ2人にとっても人生の不思議さが重く圧し掛かる。父と見間違うような男の背中はどこまでも付いて行きたい海のような優しさと同時に、とんでもない狂気や悲しさが潜んでいる。だが男にはある別の想いが滲むのだ。秋彦の減らず口は3人の沈黙を破るカンフル剤になっている。あの日あの時兄妹は言葉を失い、それから口もきいていない。喋るのか喋れないのか?だが会話が出来ないからこそ瞳の交差が重要な意味を持つ。ペンションのような兄妹の玄関を初めて訪れた時、場違いな3人はあの日あの時から運命の再会を果たすのだが、その感慨は双方にない。そのコミカルな切り返しは小津安二郎を彷彿とさせる。小津といえば沢井の父親の誠治(江角英明)の姿はまんま小津作品の笠智衆ではないか。

 人生をやり直すはずだった旅は、皮肉にもやり直しがきかない絶望に主人公たちを追いやる。人は忘却の人生に抗おうとするものの簡単に思い出を切り捨て、別の何かに夢中になるうちに過去を忘れ去る。自分たちが躊躇し、止まっている間にも人々は前に向かい歩いている。そこで生じた絶望的な距離感が沢井にはわかるが、兄妹には上手く表現できない。普通の若者として送るはずだった退屈な日常や、家族4人で囲むはずだった食卓の賑わい、自分たちを捨てた母親への言いようもない悲しさが兄の心を深く切りつける。たむらまさき(田村正毅)のカメラは福岡にこんな場所があったのかと思うようなここでしか撮れない風景を切り取ったかと思えば、日本でしか有り得ないような日本の原風景とを交互にシネスコ・サイズのフレームに据える。そのくらくらする様な倒錯のモンタージュは時代すらも超越する。今作には印象的な場面が幾つもある。沢井が弓子と再会したレストランの場面、2人が別の方向へと歩き出したところでの国生さゆりの表情には何度観ても涙が止まらない。笠智衆のような父・誠治が直してくれた自転車に沢井が乗る場面、そしてそれに呼応する様な自転車での沢井と直樹の言葉のないサイクリングに通った男同士の距離の再び涙腺が緩む。人は誰しも手を汚す前には戻れないし、健康な体にも永遠に戻れない。だからこそ「生きていて欲しい」というシンプルな問いかけにまたしても涙ぐむ。やがて梢に訪れる運命もまた残酷で容赦ないはずだ。幸福なラストには程遠い。それでも彼らの道行きを追った4時間の濃密な空気をあらためて吸い込み、22年を経ても映画は生きていると実感する。あらためて青山真治監督に哀悼の意を表し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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