サマセット7

マトリックス レボリューションズのサマセット7のレビュー・感想・評価

3.8
マトリックスシリーズ第3作品目。
監督はシリーズ通してウォシャウスキー姉妹。
主演は同じくキアヌ・リーブス。

前作ラストを経て、25万機のマシーンの軍勢は人類の最後の拠点ザイオンまで残り20時間の地点まで迫っていた。
一方加速度的に増殖を続けるスミスは、人類、機械双方に破滅をもたらす脅威となっていた。
ネオ、モーフィアス、トリニティ、ナイオビ、そしてザイオンの防衛に臨む兵士たちは、人類存亡の危機を前に、それぞれの選択を迫られる…。

評価が分かれる3作目。
興行的には、前作ほどではないせよ、そこそこヒットした。

評価が分かれた理由は、ここに来てシリーズの売りであったマトリックス内部でのトンデモバトルアクションが減少した点にある。
今作では代わりに、現実世界でのSF戦争アクションに大きく尺が振られている。
このモデルチェンジにより「らしさ」が失われたとの批判は可能だ。
また、前作ラストで生じたネオの能力に関する驚きの展開は、今作ではより進展する。
しかし、そのSF的な理由が一切明かされないため、ただでさえ難解な話の飲み込み辛さが一層強まってしまった。

私も初見時は「期待していたのと違った」「よく分からない」と思い、「3作目はイマイチ」との印象をもってしまっていた。その結果、マトリックス3部作のうち、今作だけ個人的な再鑑賞率が異様に低かった。

しかし、今改めて観てみると、たしかに前2作とは毛色が異なるが、これはこれで悪くない完結編になっていると思う。

今作の最大の魅力は、3部作をひとつのシリーズ作品として完結させてくれた点にある。
前2作で広げた風呂敷が完全に回収されたとは言えないまでも、少なくとも各登場人物の一定の結末までは描かれている。

序盤、目を覚まさないネオを巡り、モーフィアスとトリニティがマトリックスに入り大立ち回りを演じるが、ここでの主役は明らかにコリン・チョウ演じるセラフだろう。
このカンフーマスターは、ウォシャウスキー姉妹の趣味全開のキレのあるカンフーアクションを見せてくれる。
今作で第1作並みのドヤ感が出ているのは、ここでのセラフと、クライマックスの決闘シーンくらいか。

ネオの宿敵エージェント・スミスを演じるヒューゴ・ウィービングは、今作でも忘れ難い怪演を見せる。
序盤の哄笑は特に素晴らしい。
その無限増殖という凶悪な特質とシュールな景観、名台詞「ミスター・アンダーソン、ウェルカムバァック!」の独特の語感も含め、映画史の中でも印象に残る悪役の一人と言えるだろう。
終盤の豪雨の中でのバトルシーンは、西部劇のようでもあり、スーパーマンやドラゴンボールのようでもあり、雨粒の飛び散る映像演出も含め、印象に残る。
少年漫画やアメコミ映画と比較して、格闘描写がやや物足りない点は残念ではあるが。
上から下に降り注ぐ雨は、マトリックスコード同様、情報の流れのメタファーだろうか。

今作で最も多くを占めるのは、ザイオンを巡る攻防戦である。
キャラクターが二手に分かれ、主人公らは敵の拠点に潜入し、残る大多数は味方の拠点を死守する展開は、今作の翌年に公開されるロード・オブ・ザ・リングの第3作である「王の帰還」とよく似ている。LOTRの原作小説であるファンタジーの古典的名作「指輪物語」の影響を感じさせる。
また、兵士たちが防衛に使用する防御ユニットは、SF小説の名作「宇宙の戦士」のパワードスーツがオマージュされていることは明らか。
前2作に続き、監督ウォシャウスキー姉妹の、古今のSFやファンタジーをこの一作に統合してやろうという野心を感じさせる。

ザイオンでの篭城戦では、ミフネ、ナイオビ、ジー、キッドといった脇役たちが主役となる。
特にナイオビ、ジー、チャラといった女性たちの活躍が目立って魅力的である。

それにしても、マシーンの軍勢を構成する「センティネル」の形状といい、マシーンが操る掘削機といい、地底を掘り進むという進撃方法といい、フロイト的な暗示を感じるのは私だけだろうか。
前作のメロヴィンジアンとパーセフォニー夫婦の悪趣味な問いかけや、監督デビュー作「バウンド」での背徳的な描写を見るに、ウォシャウスキー姉妹がそれくらいの仕掛けをしていても驚きはない。
そう思うと、ジーとチャラという「バウンド」を彷彿とさせる女性バディが攻撃する対象や、ナイオビが最後に達成した戦果も、いちいち象徴的に見えてしまう。
マシーンを男性性の象徴、ザイオンを女性性の象徴とする捉え方もあるのかも知れない。
考えてみれば、設計者と預言者の性別も対応して見えてくる。

悪夢のようなセンティネルの大群と、防御ユニットの絨毯射撃による絶望的な戦いは、なかなか印象に残る。
ミフネやキッドのキャラクターもここに来て存在理由が判明する活躍をみせる。
SF戦争アクションとしても、いい線いってるのではないだろうか。

終盤の舞台の風景や到達地点で出会うモノの形態など、実にSF的で壮観である。
このあたり、もっと評価されてもいいんじゃなかろうか。

今作のテーマは、第1作のテーマであった「ヒトの意識変容と世界の関係」、第2作目のテーマであった「プログラム的な予測可能な世界の在り方」を踏まえて、さらに一歩進んでいる。
すなわち今作のテーマは「混沌とした予測不能な世界において、信じるべきものは何か」ではないかと思う。
今作の主な舞台である現実世界では、人の意識の世界に及ぼす影響は限定的である。
一方、マトリックス内のようなプログラム的な秩序も通用しない。
世界は本質的に予測不能であり、進化も状況も偶然の産物に過ぎない。
混沌を直接体現するのは、特殊な能力に目覚めたネオであり、ネオの力を取り込んだスミスでもある。

では、混沌とした世界で信ずべきものとは何か。
序盤に登場するプログラムのセリフにヒントがある。
彼は「愛とは言葉に過ぎない。」と述べる。
続く言葉が重要だ。
また、最終盤、ネオはスミスの問いかけにある答えを返す。この答えは円環のように、第1作のテーマに回帰する。
さらに、ネオとスミス、2人の超越的存在の違いは、究極の利他と究極の利己にあると言える。
こうして並べて考えると、ラストバトルの帰趨は暗示的で、きっちりとテーマに沿っているように思える。

今作は、屈指のSFアクションシリーズの堂々の完結編であり、ウォシャウスキー姉妹らしいチャレンジ精神あふれる作品である。
先入観にとらわれず、広い心で観てみることをお勧めする。

さて、予定されている第4作については、どうなることか。
ひょっとすると、あれこれと想像を巡らせる公開前の時期が1番楽しい時期なのかもしれない。
何にせよ、期待して、ハードルを上げまくって公開を待つとしよう。