シュトルム凸映画鑑賞記録用改め

ラブソングができるまでのシュトルム凸映画鑑賞記録用改めのレビュー・感想・評価

ラブソングができるまで(2007年製作の映画)
4.0
やったぜ!これは掘り出し物だ!
満点級のラブコメディだ。
ヒュー・グラント×ドリュー・バリモアのミュージシャン・ラブコメディ。
ヒュー・グラント演じるアレックスは落ち目の元ポップスター、どさまわりの営業の日々だが、再起のチャンスが巡ってくる。植木の水やりバイト(そんなバイトあるのか(笑))に来たドリュー・バリモア演じるソフィーに作詞の才能を見いだし、今をときめくトップスター、コーラに採用してもらう新しい曲作りをソフィーと始める事になる。
私はジョン・カーニー監督の映画が好きなんで、観る前に、若干似たような方向性を期待していた。もちろん、カーニー作品に特徴的な無私の愛、見返りを求めない好意みたいな要素は無いので、そこは勿論違うが、一人じゃない曲作り、力を合わせるものづくりの楽しさみたいなのは共通している。
ドラマとしてはソフィー側の問題克服や二人の楽曲にまつわる危機などが、シナリオ上、破綻なく配され、ごくごく自然にクライマックスへと向かっていく。
この過程において、アレックスとソフィーが実は非常に似たもの同士であることに気付かされる。ソフィーは自分をモデルにして勝手に小説を書いた有名作家の元カレに、いざとなると文句を言えなくなる。アレックスは自分の曲に妙なアレンジをする大スター、コーラに文句を言えない。何故なら二人とも、過去に自分の才能について挫折を味わっており、世間に煌びやかな才能を認められた同業者の前では萎縮をしてしまうからだ。自信がなく、相手の煌めきの前に立ちすくんでしまう。だが、自分のことではなく相手のこととなれば別だ。アレックスはソフィーを励まし、いけ好かない作家に殴りかかる。ソフィーはコーラのアレンジに堂々と文句を言う。二人が作り出したラブソングは、二人が育んだ愛の隠喩だと考えれば、ソフィーの譲れない気持ちも当然と言えよう。だが、ソフィーとアレックスには、いわば「男女の時差」(は作中の言葉ではなく私の創造した言葉だが)がある。「愛に戻る道」を見つけるまでの時差だと言い換えてもよい。あらゆるラブストーリーはこのような男女の時差に由来しているということも出来る。そして、物語は一挙にクライマックスへと流れ込む。
以上、欠点がないのが欠点というぐらい、話が綺麗にまとまっており、クライマックスでの楽曲も感動的である。ヒュー・グラントとヘイリー・ベネットのデュエットはヒロインであるドリュー・バリモアの感無量の表情に見守られるというもので、主人公とヒロイン自身のデュエットよりも捻りが利いていて、面白い絵面になっている。人間は他者に自分を投影する事が出来る。他者に自分の気持ちを代弁してもらうことが出来る。音楽や映画というのは、そのような人間の心の作用ー共感する力、の上に成り立っている事をこのクライマックスシーンは物語っているのだ。