河

ゲニーネの河のレビュー・感想・評価

ゲニーネ(1920年製作の映画)
4.0
88分バージョンの方を見た。

古い物語に出てくる女性に憑かれた画家がいて、画家が寝ていると描かれた女性の絵からその女性が出てくる。そこからは画家の見たその物語の夢の話になる。その物語の中では女性は触れたものが死んでいく魔女のような存在で、奴隷として売られているところを変わった家に住む伯爵に買われて、鳥籠のような部屋で幽閉される。夢の中でも主人公はその女性に憑かれるけど、その夢の中で女性は殺される。それによって目が覚めると同時に女性からの憑きからも解放されて、主人公は絵の中の女性を殺そうとする。それが友人に止められ、その絵は売られる。その絵の買主が伯爵と同じ名前であるっていうオチがあり、額縁が夢の中の鳥籠に対応していて、現実でも買われた後その絵から女性が出てきて伯爵の家で夢の中の悲劇が繰り返されるような話だということがわかる。カリガリ博士と同じく夢と現実の境目が曖昧になっていて、この映画では夢から現実を見るような形になっている。

カリガリ博士の脚本をリライトした段階でフリッツラングが抜けたために、この映画の製作を中断してまずカリガリ博士を作ってまた製作を再開したっていう背景があるらしい。
だからか、境目の曖昧な夢と現実っていう物語的な構造が似ているし、人を操る人についての話であるところも共通している。
セット担当も同じらしく、平面的に見えるセットも共通。ただ、漂白的、抽象的だったカリガリ博士に対して、こちらのセットの方はかなりゴシックリヴァイヴァルに近く、有機的、装飾的で死の感覚が強い。カリガリ博士ではほとんどなかった影や鏡を活用したショットもある。カリガリ博士はクライマックス以外ハリボテみたいだったのに対して、映画全体で見たセットによる画面の効果って意味では圧倒的にこっちの方が良い。
カリガリ博士では人を操るっていうモチーフが大きな何かによる洗脳的な陰謀に紐付いていたのに対して、こちらは何か抗えない美や官能のようなものに紐づいている。
それに応じて、平面的な夢的なセットも、カリガリ博士では物の見方が歪むっていう展開のために用意されていたのに対して、こっちは絵画的な美しさのために用意されているように感じた。

物語として、それと連動した映像表現としての完成度はカリガリ博士の方が圧倒的に高いように感じたけど、この映画は代わりに歪な美しさのようなものがあった。キングクリムゾンで言うポセイドンのめざめみたいな映画。ただ、冒頭で夢の話であることを示してしまっているのと、その夢の中での物語もありきたりなものなので正直88分は長かった。
河