ジョー

ストレンジャー・ザン・パラダイスのジョーのレビュー・感想・評価

3.3
 約四半世紀前に付き合っていた彼女が、この作品が封切りの頃観て、ふと洩らした言葉が今でも憶えている。
「明るくもなく、暗くもなく、哀しくもなく、なんかキツネに包まれたような感じ」。
 草創期のミニシアターファンである彼女の率直な感想。彼女は、バックに流れるジェイ・ホーキンスにはいたくご満悦のようだった。
 その頃、ミニシアター系はほとんど観なかった僕だから、当然無味乾燥な態度でやり過ごしたに違いない。

 そして、四半世紀を経て初めて観た。理由はない。観るものがたまたまなくて気まぐれで観ただけだ。
 ところで、”ストレンジャー・ザン・パラダイス”とはどう訳すのだろう。
 僕の意訳では、”遠方から来た女は、(謎めいていて)最高!”となるのだが、内容は最高な感じとは言い難い。
 ハンガリーから来たいとこのエヴァを迎えた、ニューヨークに住むウィリー。いとことはいえ、二人の間に何かが起こるのかな、と思いきや何も起こらない。同じハンガリー人の共感もない。
 そして、エヴァは母親がいるオハイオ州クリーヴランドへ。エリー湖畔にあるこの街は、さすがにカナダに近く寒そう。1年後ウィリーは友人とエヴァに会いに行く。
 ここでも別に何が起こるでもない。三人三様で、自分は自分、人は人が徹底されている。ドラマなんてそもそもない。そこに作為的なドラマを注入するのが映画であるとしたら、ジム・ジャームッシュは、それを映画と呼ばせない。

 今日も、昨日と変わらない今日にすぎないのがあたりまえ。会話してもお互い勝手なことばかり言って噛みあわないのがあたりまえ。わざわざそこに共感や喜怒哀楽などいれる必要などない。そこがジム・ジャームッシュの流儀なのかもしれない。
 そんな彼の流儀のはしりが、この作品のような気がする。ある意味記念碑的な作品を観た元カノは先見性があった?
 いや、そんな話は、ノスタルジックで無意味で野暮だ。

 僕は今気がついた。”Stranger”はたぶん”奇妙な、風変わりな、不思議な”の意味で、たぶんジム・ジャームッシュらしさを強調する意味で、”変わっているって最高!”というのが正しい訳のような気がした。