亘

イラン式料理本の亘のレビュー・感想・評価

イラン式料理本(2010年製作の映画)
3.7
【料理を担わされた女性たち】
世代の異なる6人の女性たちが家庭料理を作りながら自らの考えをカメラに語る。料理へのこだわりに苦労話、イラン社会への不満。イランの台所を映しながらイラン社会と慣習への疑問と実情を映す。

家事が女性に押し付けられるイランで、世代の異なる6人の女性たちが料理を作りながら自らの料理経験や考えを語るドキュメンタリー。ただ話を聞くだけではなくて料理を作りながらというところが斬新でイラン料理の勉強にもなる。イラン料理は家庭料理でも4時間かかるような手のかかる料理があり、監督も驚きながら会話する。確かにこの苦労は料理作りを見ながら出ないと分からないかもしれない。

冒頭はどの女性たちも明るく料理を始める。まるで料理番組かYoutubeチャンネルのように作る料理を紹介して材料を教えてくれる。とはいえそのうちに日頃の苦労も口にし始める。双子の息子を育てながら大学に行く女性やラマダン後の親戚の集まり用の料理をつくる女性たち。姑にいびられながら35年料理をしてきた監督の母。監督の母曰く、3食をすべて家族向けに作ると自由時間1時間以外はずっと台所に閉じ込められるのだ。

特に重みがあるのは監督の友人の母親。90代の彼女は少女のころに嫁いで13歳から料理をしていた。彼女は本作では料理をしないけれども姑から料理を一から教えてもらったことを語る。昭和の日本の家庭と変わらないのだなと感じる。

また異色なのが監督の妻。料理はするけども圧力なべを使うからほとんど手を動かさない。台所はきれいなままだし座ってカメラに向かって話している。彼女は最近のイラン女性の姿なのだろう。特に監督との話に出てくるクルミシチューのエピソードはその典型である。監督の友人を招いたときに友人たちは出されたシチューをおいしいとほめた。しかしそれはレトルトだったのだ。監督にとってこのエピソードは、最近のイラン女性の姿を示すために出したのだろうが、彼女の反感を買ってしまう。そもそも女性だけに料理を押し付けたり、手料理を期待する不公平に前々から不満を持っていたのだ。

ここで食事について見てみると、イラン料理は手が込んでいる。作るのはピラフやシチュー、ドルメ(塩漬けのブドウの葉に肉や具を詰めて煮込んだもの)など香辛料を何種類も入れていて手が込んでいる。特に監督の母のドルメは4時間もかかっていてこれをただの夕飯に作るのはきつい。

本作の終盤になってようやく男性たちが現れる、彼らは食べるだけなのだ。とはいえここで気になるのが一部の男性の発言。庭師の男性は料理より造園の方がつらいと話し、別の男性は料理の大変さを理解しつつも辛さの比較に意味はないという。極めつけはラマダン明けの宴会のシーン。監督の質問に対しては料理を作った女性たちへの感謝を示しつつも片づけは結局女性たちが行うのだ。

やはり人々の思考の根底に「料理・家事は女性が行うもの」という慣習のようなものが染みついてしまっているのだろう。イスラム教では一部性別による役割を規定しているらしいし、イランは敬虔なイスラム教国でもある。監督の妻のように先進的な人もいるけど社会全体の価値観が変わるのは遠い先になりそうに感じる。

手間のかかるイラン料理は、こうした女性たちの強制や努力によって支えられてきたといえるだろう。女性の社会進出や共働きを考えればイラン料理、特に家庭料理は変わらざるをえないと思う。特に4時間かかるドルメは維持できないだろう。ただ個人的にはドルメはアゼルバイジャンで食べたことがあって、これまでの海外旅行の中で最も気に入った料理の1つ(アゼルバイジャンではドルマ)。伝統として残ってほしいと思いつつ、家庭料理よりは特別な料理とか名物料理になるのかもしれない。

本作で一番の驚きは、最後の文章。監督は本作撮影後に離婚したのだ。きっと監督自身もこの程度で離婚しないと思ったのかもしれないが、それだけ不満が強かったのだ。女性の声を身を持って伝えた、監督にとって一世一代の作品と言えるかもしれない。

印象に残ったシーン:監督と妻が栗のシチューの話をするシーン。ラマダン明けの宴会の片付けのシーン。
亘