前方後円墳

恋の罪の前方後円墳のレビュー・感想・評価

恋の罪(2011年製作の映画)
3.0
1997年の東電OL殺人事件を基にしたサスペンス。
自己の闇に堕ちた3人の女のドラマで、特筆することもない一つの事件を終始性愛描写が多様し、強烈かつ重厚な印象を叩きつけてくる。
物語はラブホテル街のアパートで発見された女性の殺人事件を追う女刑事、吉田和子(水野美紀)が牽引していくのだが、小説家の夫を持つ平凡な妻、菊池いずみ(神楽坂恵)が自分を見失い、尾沢美津子(富樫真)と出会うことで自らを解放していくまでを中心に描いている。
愛という人間の本質に迫ろうとする映像は肉体的であり、開放的であり、陰鬱な絵に巻かれるショッキング・ピンクの塗料のコントラストなどでも視覚的に開放させようとする。
人間の本質を描こうとする映画監督として塚本晋也が思い浮かぶが、塚本監督は肉体の痛みを媒介にして愛を描こうとするが、園監督は肉体の快感から導き出そうとしているのだろうか、あまりにも今一視覚的で痛切なほど伝わってくることはない。
また、カフカの未完長編小説『城』、田村隆一の詩集『言葉のない世界』より一遍の詩、「帰途」を作中に引用することで伝え、説明を行うことで観賞者に作品のテーマの一部を投げつけてくる。3人の女たちはそれぞれに迷走し、誰も本当に"城"に辿りつくことはできていないし、これからも辿りつくことはないことを示す。そして、その自らの存在の危うさを知ってしまった者たちは立ち止り、苦悩するしかないことをも示す。
また、美津子の母、尾沢志津(大方斐紗子)の美津子に対する罵りが顕著なのだが、本作品ではとかく言語で人間の醜悪さを露骨に伝えてくる。役者の演技以上に台詞はその汚泥の色と臭みを映像の中に広がっていく。言葉の力を知っている園監督ならではの表現である。

女の危うさと強さの中で"愛"を求める"恋"のために身を削る様を描き、決して"愛"に辿りつくことができないことを現わした本作は監督の映像詩世界であるのだが、3人の女性の闇をデフォルメした時点で、彼女たちの存在は映像の中で肉質を伴わない観念的なものとなってしまい、"闇"という記号だけが立ち現われて、その暗さと、どうしようもない力を観賞者の肉体で感じることはできないのだ。