Melko

スケッチ・オブ・ミャークのMelkoのレビュー・感想・評価

スケッチ・オブ・ミャーク(2011年製作の映画)
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「私の人生、他の人なら血まみれのイザコザばかりだったはず。夫の遊び女から庭の泥を顔に投げられた時も、”いいさ、心の貧しい不自由な方よ”と、それだけ」

「若い者が歌わないと続いていかないけど、皆んなが多くの歌を解らないんだ。唄を教える機会もないし…次第に廃れていってる」

「ミャーク」は「宮古」を指すと同時に「現世」を意味する—-
生きることは悲しみや苦しみに満ちているけれど、何があろうと人生を楽しもう

これは映画ではない。
故にスコアはつけない。(超久々!)
だけど、ものすごく貴重な資料映像と思う。
歌うことは生きること
歌が生活の中にある
神が身近にいる世界
失われつつある文化

久々にめちゃくちゃ残業した後だったから、歌が沁みたわー
おばあ達の歌はほとんどアカペラなんだよな〜なんであんなに自由自在に歌えるんだろうか。伴奏無しで。

島での暮らしや神への信仰から生まれた"古謡(アーグ)"と"神歌(かみうた)"
集落ごとに歌が違う

やっぱり沖縄民謡とは違って聞こえる
いろーーんな歌がある それは例えば、
川が綺麗、安産祈願、納税ツラい、豊穣祈願、親子って素敵……等
全部かなり意訳。笑
でも歌にすごく生活感があったのが親近感あって良い◎
ただし、宮古語で歌われてるので、元の歌詞はサッパリわからん。。

そして神歌
50-57歳ぐらいの女性が選ばれ、何年も特殊な役割である神司を勤める。
不思議なことに、実際に選ばれた神司達は選ばれる前に夢を見たりお告げを受けたりしている。
神司 : ウフンマ、ナカンマ、カカランマ
古謡が沖縄民謡に似ている一方で、神司の歌はタイや中国っぽく聞こえる。

豊穣を祈り、年貢を納め切った慶びを歌い踊る祭り クイチャー(いわゆるカチャーシー的な?)

口承で受け継がれていく旋律
楽譜がないものがほとんど?なので、耳で聞いて、歌って覚えるしかない

生まれた所とうんと遠い土地の音楽に魅せられた久保田真琴が取材、音源を集めてまとめる
病院のベッドで、何十年も前の自分の音源を聴いて涙する、三線の名手だったおじい
「自給自足は大変だけど、唄を歌うと楽しめる。と姑から習った」と振り返る、農家のおばあ
そして、画面が80-90代の超高齢者ばかりの中、ただ1人の子供の唄い手 雄太くん
しかも三線弾きながら!
舞台で唄ってる途中で歌詞が飛んでしまい、悔しくて泣いてしまうその姿に、見てるコチラも「頑張れ…!」状態。
ちゃんと歌わなきゃ…のその先に自分だけの唄の世界があると思う。未来は明るい!

各々の土地の畑仕事を手伝い合う、所謂「ユイマール」
豊穣を祝う男性中心の壮大な練り歩き「ミャーグクツ」
御嶽(うたき)に集い神に唄の祈りを捧げる神司達

すごくコミュニティの繋がりが深く、この繋がりが心地良い者もいれば、そうでない者もいるかなと。
ただ、生まれ育った土地の文化や言葉、そして唄が恋しくなる時がきっと来ると思うの。私だって方言や食べ物、地元の祭りが恋しい時があるから。
もしかしたらホントに廃れてしまうかもしれない。それが、時代が移り変わり、進んでいくということだから。
だけど、
かつてこんな文化が日本の宮古にはあって、
「唄」で繋がる文化があって、それを受け継いでいた人達がいた
ということが、この映像を見ればわかる

だからコレは、価値あるモノなのだと思う。
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