みかんぼうや

バッファロー’66のみかんぼうやのレビュー・感想・評価

バッファロー’66(1998年製作の映画)
3.8
【ただスタイリッシュな映画という印象から、この不器用で純粋な男の生き方を愛おしく思える作品に変わった瞬間、20年という月日の重みを実感する。】

映画は小学生の頃から観てはいたが、ほとんどハリウッドのいわゆる“大衆エンタメ系”作品ばかり。そんな私が大学生になり、手に取ったある雑誌の映画特集に書かれていた「映画好きなら“ミニシアター系”を観ろ!」というコピー。どうやら“ミニシアター系”と呼ばれる映画は、スタイリッシュでお洒落でカッコいいらしい。

そしてその特集にご丁寧に書かれていた絶対に観るべきお洒落カッコいいミニシアター系映画のトップ2が「トレイン・スポッティング」と本作「バッファロー66」だった。

流されるがままに「トレイン・スポッティング」から鑑賞し、ドンピシャではなかったものの、確かにそれまで観てきた大衆エンタメ系とは一線を画したお洒落でスタイリッシュな作風を実感。アメリカ映画とは異なるイギリス映画の独特の雰囲気やセンスも感じられた。

そして、立て続けに観た本作。正直、面白さか全く分からなかった。確かにこちらもお洒落でスタイリッシュ。そこまでは理解できた。が、あれから20年以上経つ今もなお記憶に残っていたのは、正直なところ、強烈な色気を放つエロカワのクリスティーナ・リッチの魅力とラストに流れるマシンガンのような攻撃的なギターサウンドで映画史上屈指のインパクトを誇るセンスに溢れたメインテーマ(楽曲)だけ。とにかく話の内容を何も覚えていないくらい、当時の私には物語に魅力を感じず、ヴィンセント・ギャロの自己満映画という印象しか残っていなかった。

そして、約23年ぶりの再鑑賞。やはり物語としてはそれほど面白いとは思わない。個人的には、無差別的誘拐に遭いながらいきなりノリノリなレイラ(クリスティーナ・リッチ)に序盤から強い違和感を覚える、極めて自己中な復讐劇のプチロードムービー。エキセントリックとスタイリッシュの間にある特徴的な演出は今観てもやはりお洒落だが、前半を観ている限り、やっぱり前回と同じ感想。

しかし、後半に入り、明らかに20年前の自分とは異なる感覚を持つ。ヴィンセント・ギャロ演じるビリーという、なんとも冴えなくて、生き方に不器用で、親の期待にも応えられず親も諦め気味で、高校のスクールカーストでも恐らく最下層にいて目立たず、なのにうそぶいて自分の弱さを隠して強がり、子どものようにボーリングが大好きで、本当は純粋で心優しいこの男を、だんだんと愛らしく感じてしまっていたのだ。

大学生の時に観ていた時は感じ取ることができなかったビリーという男の生き方と心情に触れることができた瞬間、元々スタイリッシュだと思っていたあのラストの展開が、ただカッコいいで終わるのではなく、一人の男の覚悟が練り込まれた、人生を賭けた重厚なシーンへと変わり、何倍も迫力が増す。そして、それを経たうえでの本作の締め方が、この歳になると、妙に心を高揚させ胸に染みる。かつては、この締め方すら納得がいかなかったのに。

あの頃に比べて、自分の人生経験が膨らんだからなのか、それとも様々なタイプの映画を観て映画の観方の幅が広がったのか、何がそう思わせたかは分からないが(おそらくその両方だろう)、この映画を「面白い」と思えた自分に妙に嬉しさを覚えた。と同時に、大学生当時、釘付けにされたクリスティーナ・リッチに対して、それほど強い魅力を感じなくなっていたあたりに、ある種の老いを感じた。映画を通じて、ただただ20年の重みを強く感じたのだった。

P.S
とは言え、私を“ミニシアター系”映画の魅力に引きづり込んだ決定的作品は、実のところ「トレイン・スポッティング」でも本作でもなく、同雑誌の3位にランクインされ、それをきっかけに観た「ロック・ストック・アンド・トゥー・スモーキング・バレルズ」なのはここだけの話(そして、未だに人生で観た映画でも最上位クラスに入るほど好きな作品である)。
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