タケオ

トゥインクル・トゥインクル・キラー・カーンのタケオのレビュー・感想・評価

4.3
 本作の舞台は、深い森の奥に佇む古城風の精神病院。そこは、ベトナム戦争で精神に異常をきたしてしまった帰還兵たちの社会復帰を目的とした療養施設だった。ある日病院に、新たな精神科医としてケーン(ステイシー・キーチ)という男が赴任してくる。はじめのうちは警戒されていたケーンだが、寡黙ながらも真面目で誠実な彼の姿に、患者たちは少しずつ心を開いていく。しかし、実はケーンにはある大きな秘密があった——。
 破天荒な言動を繰り返す患者たちと、ただ淡々とそれに対応するケーン。噛み合っているようで噛み合っていない両者のやり取りはまるでショートコントのようだが、物語が進むにつれて、次第に患者たちが実は狂っていないことがわかってくるのが『トゥインクル・トゥインクル・キラーカーン』(80年)の面白さである。患者たちは、実は誰よりも純粋で真っ当な存在だ。むしろ、真っ当すぎたといっても過言ではない。誰よりも真っ当だったからこそ、ベトナム戦争という地獄を経験してしまったがために、元の生活に戻ることができない。『デッドプール』(16〜18年)のウェイド・ウィルソン(ライアン・レイノルズ)や『ジョーカー』(19年)のアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス )とも通底する、「誰よりも正気ゆえに狂気に陥る」というパラドックスに患者たちは苦しめられている。『トゥインクル・トゥインクル・キラーカーン』は、「正気」と「狂気」の境界線を常にグラつかせ続ける。そして映画後半、誰よりも「マトモ」に見えていたはずのケーンが実は誰よりも壊れた人間であったことが明らかになることで、終始グラつき続けていた「正気」と「狂気」の境界線は遂に崩壊する。
 患者たちと同様に、ケーンもまたベトナム戦争という地獄を経験した人間だが、「狂気」の世界へと逃げ込んだ患者たちとは違い、ケーンは「正気」の世界に何とかしがみつこうとしている。しかし、患者の1人が「正気」の世界の人間たちからリンチを受けたことをキッカケに、遂にケーンは自らの「狂気」を解き放つ。ケーンが本性を露わにする場面は鑑賞者に一定のカタルシスを生じさせるものではあるが、それと同時に、悲壮感と遣る瀬なさが漂う場面でもある。「狂気」の世界に囚われながらも、それでも「正気」の世界にしがみつこうとした男が、「正気」の世界を生きる人間たちの「狂気」によって、結局は「狂気」の世界へと引き戻されていく。「もう疲れたんだ」そう呟くケーンの姿は、あまりにも切ない。
 「正気」の世界を生きる「普通」の人々と、「狂気」の世界を生きるケーンと患者たち。「真に壊れているのはどちらなのか?」と、『トゥインクル・トゥインクル・キラーカーン』は問いかける。患者の1人であるカットショウ(スコット・ウィルソン)が、最後にケーンのこと「天使」と呼ぶのも印象深い。恐らく「狂気」の世界で傷ついた魂を癒すのは、同じく「狂気」の世界で傷ついた魂だけなのだろう。
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