カラン

ルートヴィヒ 完全復元版のカランのレビュー・感想・評価

ルートヴィヒ 完全復元版(1972年製作の映画)
5.0
様々な映画が様々に制作されて、様々に受容されるわけだが、現代の消費社会の商品流通コードには、明らかにそぐわない、超-大作。これは映画の神が作ったのか。

作曲のことは詳しくないのだが、音楽再生装置などなかった時代の作曲家は繰り返しの記号をつけて、自曲の理解を高めるために意図的にリフレインを使ったらしい。バッハやモーツァルトの曲を小学校、中学校の音楽の授業か、映画か、YouTubeか、とにかくどこかで聴いたことがある我々とは違って、当時の聴衆はその曲のことを何も知らないからであった。逆に現代の私たちとしては、昔の作曲家たちが楽譜で指示している繰り返し記号を、全部忠実に再現されると、しつこくてうんざりしてしまうのだろうか。古楽の演奏家にそのように文句をつけている評論家がいた。

この映画でも登場したワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』は4時間である。これはモーツァルトの『フィガロの結婚』や『ドン・ジョバンニ』が、3時間ほどの演奏時間であるので、長いとは言えないのかもしれない。しかし、ワーグナーの『ニーベルングの指輪』となると、4晩かけて16時間の演奏である!私など『タンホイザー』を10分聴いただけで、十分である。

時代が違う。

よく言われるセリフだが、流れている時間が違うのだ。メタリカというロックバンドの曲を聴かせると「長いね」という人がいるが、それが現代人の時間感覚で、哀しきせせこましさである。私たちには"Hey Jude"でも、"20th century's schizoid man"でも長大な曲になってしまうのだから、次元が違うのだ、ワーグナーやヴィスコンティーは。

年末と正月の休みを、ヴィスコンティの『ルートヴィッヒ完全版』に費やすというのは、我ながら良いアイデアなのではと思ったが、まさかここまで長いとは!

ヘルムート・バーガーとロミー・シュナイダーの2人は、これまた現代には稀な、特別な役者のオーラがでている。カリスマとはこういう人たちなのだろう。

映画は、漱石の『行人』のような孤独なのかと思いきや、ヴィスコンティ自身の孤独をナルシスティックに描いているように思えた。映画の構造はトム・フォードの『シングルマン』と同じである。トム・フォードがエンディングをしくじったのに対して、無論、ヴィスコンティはきっちり仕留める。オープニングの赤も素晴らしい。