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悪い女のNMのネタバレレビュー・内容・結末

悪い女(2011年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

冒頭、どこかから脱走したらしい馬が、車に轢かれる強烈なシーン。これが一体なにを暗喩するものなのか、分からないまま本編が始まる。ただ少なくても不穏な結果は予想させる。

男女が、錆びたサイロの影に立ち服を着たまま体を重ねている。終わってすぐ二人は別れる。とても愛し合っているようには見えず、しかし女が金をもらっていないことがどうも気になる。前払いの可能性もあるが、次の男のときも金銭のやり取りの様子がない。

その女は養鶏で暮らしているらしく、元気に遊びまわる子どもが二人おり、親子は仲が良さそう。
父親らしき人物は見当たらない。
生計自体は一応成り立っているようにみえる。ということは、彼女は金のために仕方なく娼婦をしているのではなく、別の目的で男たちと関係しているようだ。

しかし一人だけ、トラックで現れた男が、他の男とは少し違う目で彼女を見つめる。母が亡くなり帰郷してきたらしい。
彼女を見る目、会話の間の取り方、明らかに好意を持ったようだ。
しかし彼女が何をしているかを知ってしまい、何もできず歯痒い様子。
冒頭の馬を優しく治療している。獣医のようだ。伏目がちで、考え込んでいるような表情。

何が彼女をそうさせているのか。
そしてこの男は彼女に変化を与えるのか。

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BGMはほとんどなし。タマルとシャイが愛し合うとき一度と、ラストのみ歌が流れたと思う。ほかには風や虫の音だけが聞こえ、車の音は平原遠くまで残響する。
どこまでも続きそうな平地とまばらな木々、そしていつも曇った空。
しかし映画として、画がいつも美しい。
農業が盛んな地域だし実際はもっと空や緑が鮮やかなのではと思うが、画面は全体的に徹底してくすんだ色合い。彼女たちの眼には世界がそんな風に映っているということかも知れない。お陰でずっと、この先なにかが起こりそうな不穏な雰囲気が漂っている。
監督がこれまでどんな作品に影響されたか知りたい。特に室内の明暗の使い方はとても好みだった。どの場面を切り取ってもまるで絵画。

タマル役のヒロインは、作品でいつも微笑んではいるのにどうも影のあるという微妙な表情が多い。目の奥までは笑っていない感じ。
何も考えず生きているわけではないらしい、ということがそこはかとなく伝わる表情。

シングルマザーや障害者など社会的立場の弱い人が、村の人から協力を得るためにカラダを提供するというのは、どこの世界でも時々聞く。海外小説や映画作品にもよくある。
小さな村だから、商売のためにも暮らしのためにも、なんとしても孤立だけは避けなければならない。
本当に闇を感じる現実だが、だからこそ殆ど表に出てこない。

獣医の男・シャイは動物が好きなようで、その優しい扱い方から人柄を感じる。
彼女をちゃんとベッドに寝かせるのは彼だけ。人生をともにする覚悟もある。他の男たちはもちろんそんなつもりはなく、ただ性欲さえ処理できればどうでも良いというのは明らか。
無事二人が結ばれれば話は早いが、もちろんそうはならない。

このままでは村の男たちは、突然帰ってきたインテリ男に、彼女という村の共有財産を取られてしまう。二人を妬みの目で見る男たち。
幸せになれそうな雰囲気は半ばあたりから少しのあいだ漂うが、どうもそれは確実とは思えず、やはりほどなくその希望は手のひらから一気に零れ落ちていく。
比較的静かに話が進むが、どっしりと思いものが残る。
彼女に幸せになる権利はないのだろうかと沈んだ気持ちになる。

英語タイトル『The Slut』と聞いてすぐ思い浮かべるのは、新約聖書に出てくる「姦通の女」ではないだろうか。
重罪である浮気の罪で大勢の男たちに囲まれ、許してくれと懇願していた女。イエスはその女の悔恨の様子を感じ取り「この中で罪のないものだけが石を投げよ(姦淫罪は石を投げて殺す私刑が行われた)」と言ってその場を収めた、あまりにも有名な箇所。
この時代から、好きで娼婦をしているのではなく生きるために仕方なく身をやつす人が大勢いた。
そして間男と思われる男の方はこの場に一切登場せず、正確な事情など知るはずのない他人たちが女のほうを一方的に晒し上げている点も重要。女の主人すら出てこないので一体誰が彼女の行動を訴えているのかも不明というカオスぶり。

この映画の舞台もイスラエル。この聖書の箇所と関連性を持たせたと私には思われる。
聖書の時代から、集団から疎外するというのは最終手段である厳しい処遇である。この時代この場所で、村から追い出されたら後は放浪したあげくやがて死ぬだけだろう。
このほかにも特に聖書には、シングルマザーだったり不治の病や感染症などとなって、コミュニティから追い出された人々の苦しい生活がたくさん描かれている。

邦題もわざわざ『悪い女』とタイトルにつけたのは、もちろん「本当にこの女性は悪い女でしょうか」という問いかけに他ならないだろう。

前から関係している男が訪ねてきたとき、咄嗟に商品である卵を大量に床に落として、明日にしてと言う。
もう他の男とは手を切りたい。しかし断ったら彼らはすんなり身を引き、祝福してくれるかというとそんなはずはない。卵の片づけさえも手伝わない男だ。できないと分かったらすぐに帰る。彼女の態度で悟った男は、次からは思った通り完全に無視。一人を選んだら他の男もこうなるのは確実。
タマルには選択肢がなかった。広い空の下、この地で彼女はがんじがらめになり、唯一の幸せになる権利さえ失っていた。

タマルは、子どもたちと楽しそうに遊ぶシャイを見て、眉間にしわを寄せ、思いつめた苦悶の表情を浮かべる。ずっと微笑の仮面を被っていたのに、ついに苦しみが顔に出た瞬間。

ストーリーの進行と同時に徐々に回復をみせていたあの馬が、ラストでまた二人の人生を暗喩している。
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