塚本

ポゼッションの塚本のレビュー・感想・評価

ポゼッション(1981年製作の映画)
4.1

イザベル・アジャーニの、あらゆる粘液垂れ流しで狂いまくる土方巽ばりの”前衛ダンス”や、カルロ・ランバルディ作によるグチャグチャのクリーチャーばかりが取り沙汰される本作ですが、実はこれ、グロテスクな心理の深淵をえぐり取るような…人間の魂と魂の容赦ないぶつかり合いを描き切った、心身ともに反り返ってしまうほど面白い、超絶メロドラマに仕上がっています。

突然、妻に三下り半を突きつけられる展開なんて、「ポゼッション」を観たあとではあの名作「クレーマー、クレーマー」も、”作り物”のよそよそしい生温さが露呈してしまう位、描写の突き抜け感がハンパ無く炸裂しまくっています。

どれだけ自分の方が傷ついているかをアピールする底なしの(挙げ句の果てには自傷行為も辞さない)泥試合。

言葉が尽きても尚、断崖に取っ掛かりを探して登ろうとする夫に対して、上から蔑みの冷笑で見下ろす妻。

もう、こうなったら男はダメですな。

男にとってはまさに”死”を宣告されたも同然であり、そういう意味ではこの作品、キュープラー・ロスの「死の受容への五段階」 をそのままなぞっています。
まずは「否認」「怒り」「取引」「抑うつ」までの4段階までのプロセスを、ヒリヒリする皮膚感覚でサム・ニールが見事に演じ切っています。

…そして最後の「受容」の段階。

それは全てを悟った解脱の境地だが、この場合のそれは妻アンナという存在に対してアイデンティファイする事だったんだな、と思うんです。
満身創痍のマルクがアンナを連れて吹き抜けの天窓へと、這うように螺旋を上りつめるイメージは明らかに天界を目指すメタファです。

血塗れの抱擁とくちづけを交わすアンナとマルクに天窓から柔らかな光がベールのように被さるシーンはおぞましくも荘厳であります。

…と、まぁ、これはこの映画の一面のみを切り取って考察してみたものです。
妻アンナの視点から物語を読み解いていくと、また全く別の貌を見出すことが出来ます(D・フィンチャーの『ゴーンガール』と同じモチーフですね)。

…この映画、まだまだ”解読するべきカオス”が幾つも散りばめられています。

…しかし、まず言えるのは…
本作(或いはズラウスキー)は、イジワルな宿題を出す好敵手の教師と戯れるような気持ちで、末長く付き合えるポジションに収まることとなった、という喜びに尽きると思うのです。
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