むっしゅたいやき

田舎司祭の日記のむっしゅたいやきのレビュー・感想・評価

田舎司祭の日記(1950年製作の映画)
4.3
若い司祭の信心と葛藤。
ロベール・ブレッソン。
フランス北部の寒村へ赴任した新任司祭の生活を通し、俗世の残酷さと偏向的な田舎社会、自身の身体の不調から来る信仰心の揺らぎを丁寧に追った作品である。

よく比較されるベルイマン作品が、「神とは何か」、或いは「神の不在」への透徹した思索を展開するのに対し、ブレッソンの興味は飽くまで「人の弱さ」に在る様に思われる。
全編モノローグとナラタージュで構成される本編は、純粋な信仰心を持つ若き司祭が、“病”や“視野狭窄な村人”、或いは“偏向的な地域社会”に塗炭の苦しみを強いられながらも神に縋り、葛藤しながらも己を見詰めて行く姿を著している。

本作の見所の一つは、領主夫人との問答のシークエンスであろう。
凝り固まった夫人の観念にパラダイムシフトを起こし魂の救済を果たすシーンであり、同時にこれを機に村の地域社会との断絶が顕在化して行くと云うプロット上重要な、峠ともなるシークエンスであるが、意外な程静謐な物となっている。
敢えて山場を見せ場として描かない、誠にブレッソンらしい場面であると言える。

オートバイの後席に乗る司祭の晴れ晴れとした笑顔には、鮮烈で清新な印象を受けた。
今際の際の彼の言葉にも誰をも責めず不運を嘆く訳でも無い、知足の精神が見え、その若き身空に切なさを覚えさせられる作品である。
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